二輪文化ブログ
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2024年5月16日

メーカー史と「型式指定」

日本における二輪文化のひとつとして、二輪メーカーの歴史、栄枯盛衰は欠かせません。 かつて戦後復興期には200とも300ともあると言われた二輪車メーカー。 その中には「3台メーカー」「5台メーカー」などと言われ、月産3台だ […]

2024年2月10日

二輪文化研究室・新企画「昭和二輪メーカー史」

「文化」というのはとても曖昧で、人や状況によって捉え方が違ってくるので、もっと具体的・体系的にまとめることが必要と感じています。 そんなわけで、二輪文化を伝える会の活動の中でも特に重要と位置付けているのが「調査・研究」で […]

2023年7月29日

「バイク雑誌の歴史と変遷」を調査せよ

21世紀はインターネットの時代となり、出版不況と言われて久しいですが、かつての、特に昭和時代のバイク雑誌は、当時貴重な情報源として多くのライダーたちが頼りにし読み漁ったものです。 1970年代〜90年代にかけて、空前のバ […]

2013年8月30日

[歴史を追う11] 浅間時代後半 世界へ

浅間テストコースで浅間火山レースがやっと開催になった翌年の昭和33年(1958年)。 ホンダのマン島出場(昭和34年)に先駆けて、5月にヤマハが初の海外レースに挑戦。 1958年(昭和33年)ヤマハが海外レースに初挑戦。 […]

2013年6月25日

[歴史を追う10] 浅間の時代のはじまり

浅間の時代。 日本のレーシングスポーツの黎明期を代表するレースであり時代です。 大藪春彦の小説「汚れた英雄」の冒頭シーンは、完成したばかりの浅間高原テストコースで開催された第2回浅間火山レース。 晶夫が自転車で引くリヤカ […]

2013年6月18日

[歴史を追う9] ホンダ「マン島出場宣言」とヤマハ参入

昭和29年、朝鮮特需が終わって景気も後退。 バイクモーター(自転車用補助エンジン)を作っていた小さな町工場のようなメーカーでは倒産するところも多かったようです。 そんな中、ホンダ(とメグロ)は世界へ飛び出し、さらに、本田 […]

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