二輪文化ブログ
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[歴史を追う9] ホンダ「マン島出場宣言」とヤマハ参入

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画像は「日本モーターサイクルレースの夜明け」より

昭和29年、朝鮮特需が終わって景気も後退。
バイクモーター(自転車用補助エンジン)を作っていた小さな町工場のようなメーカーでは倒産するところも多かったようです。

そんな中、ホンダ(とメグロ)は世界へ飛び出し、さらに、本田宗一郎さんはマン島に照準を合わせます。
そしてヤマハが参入。

 

 

ここでヤマハが参入。

YA-1の発売、レース参戦は翌年の昭和30年から。

スズキは、3月に発売された4サイクル90ccのコレダ号で第2回富士登山レースでクラス優勝(バイクモータークラス)。

軽二輪(250cc)クラスで優勝したのは、メグロから独立したモナーク。
ライダーは中島信義さん(後に中島モータースを設立)。

 

景気後退だけでなく、オート三輪の普及もすすみ、だんだん国内の二輪車需要が落ちてきた頃でもありました。
メーカー各社は輸出に活路を見いだすためにも、海外メーカーとの性能差を埋める必要があり、性能向上の機会としてのレースが必要とされたようです。
そして、

国内でもマン島TTレースのようなレースが開催できないものか?

そんな動きに繋がっていったのですね。



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