昭和28年頃になると、二輪車製造(自転車補助エンジンも含めて)に参入するメーカーが急増。
メーカーが増え、ユーザーが増えてくれば、やはりまた自然の流れで、誰が速い、どれが速い、どれが丈夫か「競争してみようぜ」ってことになってきます。
そしてそれがまた、技術の進歩に繋がっていくんですね。
名古屋TTレースや富士登山レースが行われたことで、オートバイのパワーや信頼性が向上したとのことです。
戦後初のビッグレース「名古屋TTレース」
この時期、なぜだか理由はわかりませんが、活発に動きがあったのが中京地区。
昭和28年3月に、名古屋タイムスの主催でいわゆる「名古屋TTレース」が開催されます。
名古屋から岐阜を通る232kmの一般道を使ったタイムトライアルレース。
公道ではレースはまずいっていうので、変更されたイベント名称が
「全日本選抜優良軽オートバイ旅行賞パレード」
・・・。
- 名古屋TTレース – Wikipedia
昭和28年の名古屋TTレースに出場したメーカーの広告集。・・・昌和、ドリーム、ポートリーライナー、スミタ、クインロケット、エーブスター、ポインター、ホープスター、オートビット・・・ http://t.co/8wNfFpxzzW
— 二輪文化を伝える会 (@2rin_tsutaeru) June 12, 2013
わお! RT .@yojiiijima:名古屋TTレースの開催予告発見。おはようございます。 http://t.co/YHlpdxlMwH
— 二輪文化を伝える会 (@2rin_tsutaeru) June 14, 2013
登山道を封鎖して開催された「富士登山レース」
名古屋TTレースから4ヶ月後の7月に開かれたのが「富士登山レース」。
こちらは警察の問題はクリアしたようで、富士山の登山道を封鎖して行われました。
タイムトライアル方式のこのレース、優勝はオートビット。
このレースで2サイクル90cc以下で最速だったのが、この年に発売されたスズキ(当時・鈴木式織機)のダイヤモンドフリー号。
(どんな車体だったかはよくわかりません。スズキが作ったのか市販自転車だったのか…)
- 2ストロークに賭けた男達 – スズキ
第1回は、クラス分けされていなかったようで、2ストローク90cc以下の中では最速だったのでクラス優勝と表現しているみたいですね。
第2回からはクラス分けがされたので、コレダ号+山下林作さんが見事「クラス優勝」。
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