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[歴史を追う10] 浅間の時代のはじまり

画像は「日本モーターサイクルレースの夜明け」から。250クラスで優勝したライラックに乗る伊藤史朗
画像は「日本モーターサイクルレースの夜明け」から。250クラスで優勝したライラックに乗る伊藤史朗

浅間の時代。

日本のレーシングスポーツの黎明期を代表するレースであり時代です。

大藪春彦の小説「汚れた英雄」の冒頭シーンは、完成したばかりの浅間高原テストコースで開催された第2回浅間火山レース。
晶夫が自転車で引くリヤカーに掛けられたシートの下にはヤマハYA-1・・・。

そんな浅間の時代を足早に・・・。

*

昭和30年、浅間時代の幕開けにヤマハが二輪産業に参入します。

前年に発表された日本楽器(ヤマハ)のYA-1が2月に発売、7月にはヤマハ発動機として日本楽器から独立。
社長には日本楽器の社長でもある川上源一さんが兼任。

そして富士登山レースで華々しくデビューするんですね。

 

 

 

浅間のレースに関しては、それはもういろんな話がありますから、深く掘り下げるのは別の機会にしておきます。

日本小型自動車工業会(メーカーと販売店の集まり)が日本モーターサイクルレース協会を作って、技術の進歩のためには日本にもマン島TTレースのようなレースが必要、ということで浅間の地が選ばれ開催されたのでした。

出場車両は、完全に国産であることが条件で、第1回では上位入賞者に海外部品を使ったとのことで失格になったりもしたようです。

 

 

7月には第4回富士登山レース(この年が最後)が開催され、ホンダとスズキが出場しなかったこともあり、ヤマハが125ccクラスでは1〜8位、250ccクラスでは1〜5位を独占、圧倒的な勝利をあげます。

 

そして、昭和32年7月に浅間テストコースは完成し、10月に第2回全日本オートバイ耐久レース(浅間火山レース)が開かれました。

 



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