戦後すぐに世に出てきたスクーター、ラビット(富士産業)とシルバーピジョン(中日本重工業)。
他メーカーはあまりこのスクーターの分野には参入せずに、自転車に取り付ける小型エンジン(バイクモーター)からというのが大半だったようです。
また、戦前からのメーカーも事業を復興させてきます。
本田技研工業の創業時期であるので、ホンダの話を中心に先へ進めます。
1948年(昭和23年)9月に、本田宗一郎さんが本田技研工業株式会社(ホンダ)を設立。翌年には藤沢武夫さんとの二人三脚体制がスタートします。:本田技研工業(Wikipedia) ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月24日
1948年(昭和23年)にホンダC型90ccという、ホンダ初の総社内製バイクが開発(発売?)されます。大分湯布院の岩下コレクションに展示されているらしいです。 parsons.blog.fc2.com/blog-entry-179…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月24日
C型は98ccです。まちがいです。
1949年(昭和24年)10月の多摩川スピードウェイでの第1回日米対抗レースの軽発クラスで、ホンダC型90ccのマシンが優勝。ライダーは誰? アメリカの兵隊さん? :浜松オートバイ列伝関連年表:バイクのふるさと浜松 bike-furusato.net/history/main.p…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月24日
ホンダC型(正確には96ccでした)ホンダコレクションホール(もてぎ)にも展示されてますね。1949年の多摩川のレースというのはやはり多摩川スピードウェイでいいみたいです。ライダー等は不明(社員ライダーかも?) sts.kahaku.go.jp/hitnet/result.…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月25日
96ccでもなく、98ccだって(^^;
@2rin_tsutaeru ボア×ストロークが50mm×50mmだから約98ccですね。D型も同様。honda.co.jp/sou50/Yume/7ye…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月27日
スクーターは、主に富士産業(のちの富士重工)と中日本重工業(のちの三菱重工)の2社がメイン。
その2社の行く末は・・・。
富士重工はラビットスクーターを1968年(昭和43年)まで生産していました。ラビットの生産終了で二輪車事業からは撤退。戦後よりたくさんのバイクメーカーが生まれては消えて行き、この富士重工の撤退をもって国内4メーカー時代になりました。(もう少しあとまでブリヂストンが輸出用を生産)
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月25日
三菱のシルバーピジョンも1964年(昭和39年)まで生産されていました。ラビットもシルバーピジョンもロングセラーですよね。どちらも四輪車に集中するということで二輪車からは撤退。もし細々とでも続いていたらどうなっていたでしょうかねぇ…。
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月25日
一方、戦前からのメーカーもあった訳で、なんとか戦災を逃れた製作機械や部品、手に入りにくい資材を使って事業復興させています。
戦前からあったメーカーのうち、陸王は戦後すぐに細々と生産を再開していたようですが、需要は日常の足の小型車で、大型車は苦戦。結局1949年(昭和24年)に陸王内燃機は倒産。別会社の陸王モーターサイクルが事業を継承したとのことです。 ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月25日
ほかにもメグロは、昭和23年に戦前のZ98を原型にメグロ号Z型(500cc)を製作。
キャブトン号のみづほ自動車は、昭和21年にまさに原動機付自転車の「ビスモーター」を考案し発売しています。
宮田も昭和21年?に「アサヒ号 DC型」(200cc)を発売。
この頃のことは、資料によって発売年など異なっていて、正確なところがはっきりしません。
ここからは、トリビア的な話です。
細かいことも気になりますが先へ進みます。昭和24年ホンダはドリームD型を発売。2ストローク96ccです。これも免許区分に関係があって、軽二輪が4st150ccまで2st100ccまでだったからということみたいですね。
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月26日
また話がそれちゃいますけど、ホンダ=4サイクルのイメージですが、ドリームD型までは2サイクル。この後1951年(昭和26年)のドリームE型から4サイクルに。ここから、本田宗一郎さんはアンチ2サイクルに転向となったようです。 www5a.biglobe.ne.jp/~side-7/honda.…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月26日
さらに。そのホンダ初の4サイクルエンジンを設計したのが、宗一郎さんのあとにホンダの社長になる河島喜好(かわしまきよし)さん。さらにさらに。その河島喜好さんの弟さんの河島博さんは日本楽器(ヤマハ)の元社長だったり・・・。 ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月26日
ホンダのA型エンジン、C型、ドリームD型、E型、カブF型と続くんですが、あれ?B型は?…..A型のあと試作はしたものの「気筒容積がA型より大きくなつただけで、思つたほど成績が良くないため、少数生産したのみで中止した」んだそうです。 honda.co.jp/sou50/Yume/7ye…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月26日
ホンダのホームページの表からは辿れないかもしれない、ホンダ50年史のweb版バックナンバーです。
ホンダの50年史、HondaのホームページからPDFで読むことができます。スゴいです。 honda.co.jp/50years-histor…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月26日
どうしても新しい発見・面白そうな話に出くわすと寄り道が長くなってしまいますね・・・。
少し先を急がないと。
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