終戦後、日本の軍需産業は平和産業へと転換されることになります。
そんな中登場するのが、「ラビット」と「シルバーピジョン」。
ウサギと銀鳩。
今は四輪車メーカーである富士重工(ラビット)と三菱自動車(シルバーピジョン)の(前身が)作ったスクーターです。
戦後の日本の庶民の足として活躍しました。
(ちょっと編集の仕方をいろいろ研究中。今回はTwitterでのつぶやきをまとめた形にしてみました。)
戦後の1946年(昭和21年)、軍需産業から平和産業へと転換させられた時期。東洋最大の航空機メーカーだった中島飛行機は、富士産業(後の富士重工)となり、ラビットスクーターを開発。(写真はオートバイ誌2013年2月号特別付録から) twitter.com/2rin_tsutaeru/…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月21日
戦後の昭和20年代というのは、オートバイの歴史で一番の急展開の時期ですよね。ラビットの富士産業に始まり、ホンダ、スズキ、ヤマハ…だけじゃなく100社とも200社とも言われるバイクメーカー(ちっさい町工場含む)が誕生した時期です。戦後の生活に密着した実用重視の時代です。
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月21日
ラビットの発売から半年ほどして、中日本重工業(後の三菱重工)がシルバーピジョンC-10を発売します。ライバル車ラビットと共に戦後の日本の庶民の足として活躍。「ピジョン」は平和の象徴ハト(写真はオートバイ誌2013年2月号特別付録から) twitter.com/2rin_tsutaeru/…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月21日
戦後「人間休業」していた本田宗一郎さん。昭和21年10月に現在の本田技研工業の前身である本田技術研究所を設立。 宗一郎さん39歳、ホンダのオートバイの研究の始まりです!:本田技術研究所(旧)(Wikipedia)ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月22日
昭和23(1948)年1月1日から道路交通取締令が定められ小型免許第三種(二輪車)第四種(軽二輪車)つまり二輪免許が新設されました。それまではオートバイ(自動自転車)は免許不要だった…のかな?:運転免許(Wikipedia) ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8B…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月22日
昭和23年当時の小型免許第四種(軽二輪車)の軽二輪って? 150ccまでが軽二輪だったようです。参考サイト→ :運転免許証の歴史:栗田君の(新)自動車運転免許獲得記 www9.plala.or.jp/hiyotrio/newpa…
— 二輪文化を伝える会さん (@2rin_tsutaeru) 2013年5月22日
二輪車免許って戦後になってからできたんですね。
(追記:それまで免許がいらなかったわけではなく、専用の免許区分がなかった、ということみたいです)
昭和23〜24年あたりは、もう少し動きがあります。
ツイッターで先行して小刻みにつぶやいています。
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日本バイク年表:1945年(昭和20年)〜1949年(昭和24年)
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