二輪文化ブログ
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多田健蔵

多田 健蔵(ただ けんぞう):1889年(明治22年)2月17日 – 1976年(昭和51年)

1930年(昭和5年)に日本人で初めてマン島TTレースを走った人

昭和5年(1930年)に、英国のベロセット350ccで出場。決勝15位完走。

当時、モーターサイクルレーサーとして全国で名が知られていた多田健蔵。

レース活動の他に、自転車やモーターサイクルの輸入販売をしていたこともあり、ヨーロッパのレースやマン島TTレースについても、輸入雑誌から情報を得て、密かに憧れていたそうです。

そんな多田健蔵のところに、イギリスのベロセ社からマン島TTレース(1907年より開催されている)の招待が届きました。

当時すでに41歳だった多田健蔵。旅費のほとんどが自腹という条件ながら、シベリア鉄道で陸路ヨーロッパへ。イギリスのベロセ社で工場を視察するなどし、およそ40日かけてマン島へ渡ります。

飛行機旅行などできる時代ではないから船で行ったが、 朝鮮からハルビンに渡ってそこから鉄道で欧州にはいり、パリからドーバー海峡を越えて英国入りというコースをとった。約40日かかってマン島に渡ったのが5月。そこでか1カ月の練習をしてレースに出たのが6月であった。

「国産モーターサイクルのあゆみ 1972」(八重洲出版)証言構成 日本のモータサイクル産業史より

4時間にも及ぶレースを15位で完走

日本では、オーバル(楕円)コースばかりを走っていただけでなく、舗装路でのレース経験もない。
現地へ行ってから、およそ1ヶ月の練習でなんとかコースを覚え、腕を磨き、そして迎えたTTレース決勝。

ジュニアTT(350cc)クラスに出場し、なんと4時間4分15秒で走り抜き15位で完走。初出場で完走するのは難しいことだったようで、現地の人やチーム関係者、そして当の本人も驚きだったようです。

1930年当時のレース映像が!

さすがはイギリスです。
その当時の凛々しくてカッコいい姿が映像に残っています。

0’50頃と1’00頃に駆け抜けていくゼッケン6番が多田健蔵だと思います。
ゴール後の映像もあり(スタート前かも)。いい表情しています。


日本のメーカーが世界に進出する約30年も前の日本人ライダー多田健蔵のことは、イギリスの映像メディアだけでなく、他の海外のサイトでも語り継がれています。

表彰式に羽織袴姿で

レース後の表彰式には羽織袴姿で登場。
堂々としたその姿にヨーロッパの人たちも賞賛を贈ったと言います。

多田健蔵本人曰く、

賞品授与の時は羽織ハカマの純和装で出た。足は白タビにフェルトのゾウリといういでたちだ。なまじ洋服を着てはチャップリンの兄弟みたいでダメだから和服を用意したのだ。

「国産モーターサイクルのあゆみ 1972」(八重洲出版)証言構成 日本のモータサイクル産業史より
多田健蔵(国産モーターサイクルのあゆみ 1972 より)

第1回全日本クラブマンレースでは競技委員長

1958年(昭和33年)の第1回全日本クラブマンレース(MCFAJ)では、競技委員長を務める。レース前夜には参加車両に関する抗議を受けることに。

ホンダやスズキのマン島参戦にも同行

1960年(昭和35年)、ホンダ・スズキのマン島出場選手団と同行。30年ぶりに彼の地へ。

かつては自転車の選手としても名を馳せた

1907年(明治40年)自転車の鉄人レースで優勝という記録があります。
18歳の時に出場した横浜貿易新報(現・神奈川新聞)主催の「自転車長距離競走」で、250マイルを16時間53分で 走りきり優勝。

自転車長距離競争の結果を報じる「横浜貿易新報」(明治40年7月2日付)
自転車長距離競争の結果を報じる「横浜貿易新報」(明治40年7月2日付)

資料よもやま話 横浜のメディア・スポーツ・イベント – 横浜開港資料館

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参考文献・サイト

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