すずき ただお:1945年(昭和20年)2月19日 –
1969年全日本モトクロス250チャンピオン。SP忠男代表
SP忠男の忠さん
1969年全日本モトクロス・セニア250ccチャンピオン。
SP忠男レーシングチームの大将として、ロードレースの全日本チャンピオン・世界グランプリライダーを輩出している忠さんですが、かつては豪快な走りで知られたモトクロスライダーでもあったんです。
- 【参考】MFJ歴代チャンピオン(モトクロス) – MFJ
第2回二輪文化ラジオ
第2回の二輪文化ラジオにゲスト出演していただきました。
蒲田の夜から月刊オートバイオフロード天国のエピソードなど、いつでもバイクに夢中な忠さんに爆笑エピソードがいっぱいです。
蒲田の夜から月刊オートバイオフロード天国のエピソードなど、いつでもバイクに夢中な忠さんに爆笑エピソードがいっぱいです。
忠さんの自伝「バイク、そして人生 最高だね!」
忠さんが本当に自ら書いた自伝本が「バイク、そして人生 最高だね!」(造形社)。
風間深志さんの企画で実現。
モトクロスだけでなくロードレースのチャンピオンリストにも名前が
1965年5月に鈴鹿サーキットで開催されたMFJ全日本ロードレース大会。この50ccクラスで優勝。
当時まだシリーズ戦は始まっていなくて、この1戦でチャンピオンの決まったのでした。
- 【ブログ】1965年MFJロードレース50cc優勝者「鈴木忠雄」さんとは?
- 【参考】MFJ歴代チャンピオン(ロードレース) – MFJ(「忠雄」は誤植)
年表
1960年 | 初モトクロスレース。マシンは山口オートペット。結果は予選落ち |
1961年 | トーハツランペットでモトクロス初優勝 |
1962年 | 千葉のスピードスクランブル・レースにヤマハYDS250で参加し優勝 |
1963年 | トーハツワークスマシンへスイッチ |
1964年 | ヤマハセミワークスライダーとして全日本モトクロス選手権で活躍 |
1965年 | ヤマハワークスライダーとしてYDSベースのモトクロッサーで各地のレースに参戦 MFJ全日本ロードレース(鈴鹿)50ccクラス優勝 |
1966年 | 目玉ヘルメット誕生 |
1967年 | ヤマハのニュー・モトクロッサー、YX26を駆りデビュー戦の郡山モトクロス日本GPにて優勝 MFJ全日本モトクロス ジュニア250cc ランキング3位 |
1968年 | MFJ全日本モトクロス セニア250cc ランキング3位、125cc 7位 1969年 DT-1ベースのマシンで全日本モトクロス選手権シリーズセニア250ccクラス年間チャンピオン。 125ccクラスランキング2位。MFJ最優秀選手。 |
1970年 | MFJ最優秀選手として、世界選手権モトクロスに参戦。 オランダナショナルモトクロス戦日本人初優勝。 全日本モトクロス選手権第4戦 125cc・250cc・オープンクラスの3クラス優勝。 イギリスのブリストルのレースで転倒、首を圧迫骨折 |
1971年 | 怪我のため8ヶ月のブランクの後、復帰レースの全日本モトクロス選手権第6戦125クラスで優勝。 その後再び怪我に泣かされる。 |
1976年 | スペシャルパーツ忠男開店 |
1978年 | SP忠男レーシングチームを設立 |
- 【出展・参考】SP忠男の歴史