平成から令和に変わり、すでに9月になりました。
今年はお別れがつづきます。
モーターサイクリストクラシックNo.12に追悼記事が掲載されていたのでブログを。
● 「追悼:日本モータースポーツ文化の礎を築き逝った昭和のレジェンドライダーたち」 – モーサイ
安良岡健さん
二輪文化を伝える会の活動を開始した当初から、これまで雲の上の存在だった方々に、いろいろお力添えをいただくことが多くなりました。
その中でも安良岡健さんは、親分的存在で、数々の逸話を聞かせていただきましたし、会の活動やイベント事でも大変お世話になりました。
自分にとっては、「チームMEIKOケン・アラオカ」の総監督としてしか知らなかった方でしたが、多方面からお話を聞いていくうちに、ライダーとしての活躍はもとより、本当に多くの人たちの面倒を見てきたことがわかる人望の厚い方でした。
かの星野一義さんとのエピソードもしかり。
二輪文化ラジオを始めた頃、ゲストにも来ていただきました。
以来ずっと、「次はもっと砕けた話をしようや」って言われていたのですが…。
伊藤光夫さん
マン島TTレース唯一の日本人優勝者です。
1963年の50ccクラス。
以前からお名前だけは存じ上げていましたが、やはり歴史を辿るようになって、その偉大さを改めて感じていました。
マウンテンライダースの50周年記念パーティーの時にご挨拶程度しかできなかったのですが、今度お会いする時には、当時の話とあわせて、1960年にマン島にも帯同していた多田健蔵さんについてもお聞きしたかった…。
三井晃さん
私が筑波選手権を走っていた頃、スタッフハウス(三井さんの会社)にエントリー用紙を現金書留で送っていたことを良く覚えていました。リザルトの競技委員長欄にお名前があったことも。
バックステップのヨシモトとか、ノガロレーシングとかも三井さんが主宰していたことはずいぶん後になって知りました。
二輪文化を伝える会の活動を始めて、お話を聞かせてもらう機会ができ、良く言われたのは、
「ワークスの話ばかりしてんじゃねーよ。レースはプライベーターが支えてるんだぞ」
肝に命じておきます。
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あらためてご冥福をお祈りいたします。