[歴史を追う6] 戦前メーカーと戦後メーカー

画像は「日本の自動車技術240選」より
ホンダ ドリームD型(画像は「日本の自動車技術240選」より)

戦後すぐに世に出てきたスクーター、ラビット(富士産業)とシルバーピジョン(中日本重工業)。
他メーカーはあまりこのスクーターの分野には参入せずに、自転車に取り付ける小型エンジン(バイクモーター)からというのが大半だったようです。
また、戦前からのメーカーも事業を復興させてきます。

本田技研工業の創業時期であるので、ホンダの話を中心に先へ進めます。

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[歴史を追う5] 戦後の日本の庶民の足として

月刊オートバイ2013年2月号特別付録「日本のバイク史」から
月刊オートバイ2013年2月号特別付録「日本のバイク史」から

終戦後、日本の軍需産業は平和産業へと転換されることになります。

そんな中登場するのが、「ラビット」と「シルバーピジョン」。
ウサギと銀鳩。
今は四輪車メーカーである富士重工(ラビット)と三菱自動車(シルバーピジョン)の(前身が)作ったスクーターです。

戦後の日本の庶民の足として活躍しました。

(ちょっと編集の仕方をいろいろ研究中。今回はTwitterでのつぶやきをまとめた形にしてみました。) “[歴史を追う5] 戦後の日本の庶民の足として”の続きを読む


[歴史を追う4] 昭和〜戦前 国産化促進とモータースポーツ

昭和初期から社会情勢は戦時体制へ。そんな中、軍備の国産化やオートバイが軍に採用されることもあって国産車製造の動きが出てきます。

が、その前に。

1930年(昭和5年)多田健蔵さんが日本人初のマン島TTレース出場

こんな頃に、まさかマン島を走った日本人がいたとは!
当時のオーバルダートコースでのレースの実績で、輸入業者を通じてイギリスのメーカーであるベロセットからマン島TTレースに招待されたようです。
シベリア鉄道を使って40日かけてヨーロッパへ。
マン島での貴重な写真や映像も残っています。
多田健蔵さんは、この後も日本のレース界のために多大な貢献をされた方です。

1933年 宮田製作所 初の国産量産車「アサヒ号AA型」発売

月刊オートバイ2013年2月号から
月刊オートバイ2013年2月号特別付録から

1933年(昭和8年)宮田製作所(あの自転車のミヤです)が初の国産量産車「アサヒ号AA型」を発売、1935年から量産体制に。
月産150台という当時としては大ヒットモデルだったそうです。

陸王、メグロほか国産車が登場

(上)陸王(下)メグロZ97 「日本のオートバイの歴史」から
(上)陸王(下)メグロZ97
「日本のオートバイの歴史」から

1935年(昭和10年)ハーレーの国産化モデルが登場します。はじめは三共内燃機(あの製薬会社の三共の傘下)が生産。のちに車名が「陸王」となり陸王内燃機を設立。主に軍に納入されたとのこと。
1937年(昭和12年)には目黒製作所はメグロZ97を発売。
ほかにも、キャプトン(1927年)、くろがね号(1937年)などが登場します。
これらが世に出る背景には国産化促進の国策があったということです。

1936年(昭和11年)日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」開設

多摩川スピードウェイ跡地・グランドスタンド
多摩川スピードウェイ跡地・グランドスタンド

それまで競馬場など特設コースで開かれていた自動車やオートバイのダートトラックレース。
常設コースを造ろうということで多摩川の河川敷に作られました。
鈴鹿サーキットができる26年も前、昭和11年のことです。
あの本田宗一郎さんもオープニングレースに出場しています。派手に転倒したらしいですが・・・。
現在でもその一部(観客席とコースの一部)が残っています。
この多摩川スピードウェイについては、またあらためて取り上げたいと思っています。

*

しかし、時代は国家総動員法(1938年)が制定され戦時統制強化。太平洋戦争に突入。
レースは当然のように休止、オートバイの製造も軍・警察用の陸王のみとなります・・・。


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