1912年(明治45年)5月 鳴尾競馬場でオートバイレースが開催される

日本で最初のオートバイレース

1912年(明治45年)5月5日に兵庫県西宮市鳴尾の鳴尾競馬場で開催されたレース「第1回自動自転車競走会」が、日本で最初のオートバイレースと言われています。
現在のサーキットで行われるロードレースとは違い、競馬場のコースでのオーバルトラックレースでした。

「関西競走界と鳴尾競馬場の記録」別冊Old-timer より

別冊Old-timer No.3 戦前オートバイ競走史1「関西競走界と鳴尾競馬場の記録」岩立喜久雄(ヤエスブックメディア)によると、

1912(明治45)年5月5日 第1回自動自転車競走会(鳴尾)
1912(明治45)年11月10日 第2回自動自転車競走会(鳴尾)
1913(大正2)年5月18日 第3回全国聯合自動自転車競走会(鳴尾)
1913(大正2)年10月19日 第4回全国聯合自動自転車競走会(鳴尾)

出典:別冊Old-timer No.3 (ヤエスブックメディア)戦前オートバイ競走史1「関西競走界と鳴尾競馬場の記録」岩立喜久雄
※注 第2回の1912年11月は大正元年

また、別冊Old-timer No.4 戦前オートバイ競走史2「追想オートバイ競走会」岩立喜久雄(ヤエスブックメディア)には、初のオートバイレースであろうとする記述がります。

オートバイだけのレース、つまり自動自転車競走と題した競走会は、明治45年5月、阪神鳴尾競馬場での第一回自動自転車競走会がいまのところ最初である。それ以前は、自転車競走会の余興として、エンジン付きの自転車、つまり自動自転車が、見せ物的にまわっただけのこと。本格的なコンペティションが組まれるのは、明治45年以降といってよい。

出典:別冊Old-timer No.4 (ヤエスブックメディア)戦前オートバイ競走史2「追想オートバイ競走会」岩立喜久雄

一足早くに普及していた自転車は、すでに競技も行われていて、その余興として(もちろん輸入業者のPR活動の一環としても)自動車や自動自転車(オートバイ)のデモンストレーション走行があったようです。

全国から選手が集まる

初めて競技大会として開かれたこの「第1回全国自動自転車競走会」には、全国から集まりました。
選手はもともと自転車競技の選手がオートバイレースへ転身したりしたようです。
引用文に出てくる芭蕉竹松も自転車競技で、大阪の有名選手として名を連ねています(頑張れ!岸和田競輪 )。

記念すべき第一回競走会では、東京、名古屋、京都、岡山、神戸等から50余名の選手が参加し、午前11時より午後5時半まで、26回に及ぶレースが行われ、2万人の観客を集めた。最終回決勝で1着となったのは、地元大阪の芭蕉竹松であった。芭蕉は自転車競走から転身した選手であり、初期の一流選手の多くが同様の遍歴をもつ。

出典:別冊Old-timer No.4 (ヤエスブックメディア)戦前オートバイ競走史2「追想オートバイ競走会」岩立喜久雄

関連ページ

出典・参考

  • 【出典】別冊 Old-timer No.3 (ヤエスブックメディア)
  • 【出典】別冊 Old-timer No.4 (ヤエスブックメディア)
  • 【参考】佐々木晃彦「公営競技の文化経済学 」芙蓉書房 – 日本財団図書館
  • 【参考】鳴尾競馬場 - ウィキペディア