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二輪文化ラジオ:ゲストの山中正之選手のご紹介

山中正之選手
山中正之選手

二輪文化ラジオ

2月26日(金)よる9時からです!

今回のゲストは3回目の登場、マン島TTレース参戦を目指すロードレースライダーの山中正之選手です。

26日の放送を前にこれまでの2回で聞いた話をちょっとまとめてみました。

マン島への憧れ

マン島TTレースと言えば、1907年から続く、島内の一般公道を使った歴史あるレース。

古くは1930年(昭和5年)に多田健蔵が日本人として初めて出場、1959年(昭和34年)にはホンダが世界進出の第一歩として、以後スズキやヤマハも出場するなど、伝統と格式のあるこのレースは、ライダーにとって憧れというだけでなく、日本メーカーにとっても重要な意味合いを持つものでした。

このマン島TTレースに、レーサーを志した山中選手も憧れを抱いていました。

全日本選手権や鈴鹿8耐にも数多く出場するようになり、キャリアを積んでベテランライダーと呼ばれるようになった頃、レースで大怪我をしたこともあり、いつしか忘れかけていた予てからの夢を現実にしたいという気持ちが芽生えました。

夢に向けて動き出す

若い頃からの夢「マン島TTレース」の出場に向けてチャレンジを開始したのは一昨年のこと。

TTレース開催時期に単身マン島へ渡り、片言の英語でレースの出場について自ら情報収集。

主催者からの条件もあり、マン島TTレースへのステップとしてまず参加型でもあるマンクスグランプリに出場することになりました。

そして、たくさんの支援者に支えられながら、ほとんどすべてを自分たちの手で準備して出場を果たした昨年のマンクスグランプリでは、ニューカマー(初出場者)クラスで2位表彰台に上がるなどの結果を残し、夢のTTレース参戦へ着実にそして大きく前進しました。

マン島を走ってみてわかったこと

車検ステッカー
マン島を走ったマシンのカウリングに貼られた安全確認の車検ステッカー

とかく「危険な公道レース」「命知らずのライダー」という表現でクローズアップされますが、現実は、100年を超える伝統と多くのライダーが憧れるレースとして、最大限に安全というものに配慮された運営がなされています。

もちろん危険であることには変わりはないのですが、その上で何をすれば少しでも危険を遠ざけることができるのか、ライダーにとっても観客にとっても、マン島の人たちにとっても、素晴らしいレースであり続けるにはどうすべきなのか、そんな考えがあるからこそ今も歴史が刻まれているのです。

自分たちの手で作り上げていく

遠い彼の地でレースをすることは、マシンの準備などのハード面はもとより、ソフトの面でもたくさんのハードルがあります。

お金を用意して、現地でマシンを調達し、レースを熟知している現地のチームに面倒を見てもらえば、レースを走ることはできるのかもしれません。

しかし彼の選んだ方法は、すべて自分で用意してマン島のレースを走ることでした。

日本でレース用のマシンを準備し、船でイギリスに送り、日本・イギリス・マン島で、多くの人たちの手を借りながら、彼のレースは作り上げられていきました。

これは想像をはるかに超える過酷さではありましたが、このマンクスグランプリを経験したあとでもなんら変わることなく、同じスタンスでいつかTTレースに挑戦する、それが彼の本当の夢なのです。

来年のTTレース参戦を見据え、今年は600ccのマシンで再びマンクスグランプリを走ります!

山中正之選手のマン島TTレースチャレンジ特設サイト


 

なんていうお話を、いかに面白おかしく、そして時間内で聞くことができるのか?

たぶん時間は足りません。すみません。。。

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