二輪文化ブログ
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「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」より

博物館・資料館のページの次に、これまた予てから作りたかった文献・資料のページの作成に取り掛かっています。

文献と言ってもいろいろあるのですが、その中でも、手にする機会が多く、参考になることも多いのが当時の自動車・二輪車の雑誌です。

昨年(2015年)11月の「多摩川スピードウェイ回顧展」の会場で自動車ジャーナリストである飯嶋洋治さんに初めてお会いしました。

対象は二輪車でなく自動車雑誌ですが、いろいろと参考になるので、その飯嶋さんの著書「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」(グランプリ出版)をまずご紹介しておきます。

studyofmagazine

自動車が世に現れた明治の頃から、戦前戦後、高度経済成長期、オイルショックを経て、バブル景気とその崩壊、そして現在に至るまで、社会情勢と様々なテイストの自動車雑誌の栄枯盛衰とを照らしながらモータリゼーションを見ていくという切り口。

かつて自動車雑誌を少しでも読んだことがある人なら、それだけでなかなか楽しめる内容になっていると思います。

自分としても、モーターファン、月刊自家用車、CARグラフィック、モーターマガジン、ホリデーオート、ピットイン、カー&ドライバー、OPTION、CARBOY・・・何もかも皆懐かしい(今も続いているのもありますが)。

そしてもちろん、二輪車雑誌に置き換えたらどうなのか、二輪版もかなり面白い物ができるんじゃないのか、というのは常に頭から離れません。

モーターサイクリストのルーツ

戦後しばらくは、二輪車の方が普及していたこともあって、その頃までは二輪も四輪も同じ雑誌で扱われることが多かったようですが、その後、分離されていくため、この本でも二輪関係はほとんど出てきません。

しかし、戦後の項目にこんな記述がありました。

1952年には三栄書房の社員の大森正がバイク雑誌を発案。退社の後「モーターサイクリスト普及会」を設立し「モーターサイクリスト」を創刊した。「モーターファン」創刊時の編集長である八木弓郎は大森と行動を共にした。「モーターサイクリスト普及会」は、その後、酒井文人が主導することになる。

なるほどそんな経緯があったのですね。
モーターサイクリストのルーツがモーターファンにあったのは知りませんでした。
また、ライバル誌「月刊オートバイ」の創刊・復刊についての記述もあります。

個人的にはモータースポーツ誌についての章も読み応えがありました。

大河ドラマだ!

このように、一つのテーマで、人や出来事がどう関わり、物事がどう変化していったのかをまとめるのはとても意義のあることだと思います。

これも、いわゆる一つの大河ドラマですね〜。

単に時代を追いかけていくだけでは学校の教科書のようになってしまうので、二輪文化を伝える会としても、こういうところはおおいに参考にしたいと思っています。

amazon→モータリゼーションと自動車雑誌の研究

鈴鹿”ビッグ”2&4レース

最後にもう一つ。

モータースポーツ誌の章で、モーターファン編集部出身のジャーナリスト星島浩さんの鈴鹿”ビッグ”2&4レースに関してのエピソードが載っていますが、もうちょっと突っ込んだ星島さんご本人の思い出話があるのでぜひこちらも。

→いまだから話せる!?鈴鹿にイヤな顔をされそうな2&4レースの苦い思い出:クリッカー

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