7月1日に「酒井文人&クラブマンレースを語る会」があるとのこと。
往年のライダーやレース関係者が集まるようです。
・・・酒井文人さん?
1958年(昭和33年)、メーカー主導の第3回浅間火山レースが延期になり、ならばアマチュアのレースをやろうということで、設立されたのがMCFAJ(全日本モーターサイクルクラブ連盟)。
その設立の中心人物がモーターサイクリスト創設者の酒井文人さん、というわけです。
そして一つ前のブログに書いた多田健蔵さん。
昭和5年にマン島TTレースを走った方です。
以下、「日本モーターサイクルレースの夜明け」に出ていた、『八重洲出版発行の「別冊モーターサイクリスト」(2003年9月~2004年2月号)掲載 戦後バイク史の証人たち(その10)』より。
(後半の「決勝前夜の抗議行動」のところ。)
本田さんによると、参加者たちの抗議は、まず車検を行っていた“わかさ会〝(当時の若手バイク商たちの集まりに持ち込まれたという。だが彼らには最終的な権限がないと分かり、結果として主催者の酒井文人(当時小社社長でMCFAJ初代理事長。故人)と、競技委員長の多田健蔵さん(戦前のスターライダーで、1930年に日本人として初めてマン島TTに出場。故人)が矢面に立たされた。
多田健蔵さんが、第1回全日本クラブマンレースの競技委員長だったのですよ!
知らなかったことと知らなかったことが知っていることで繋がったのでちょっと興奮してしまいました。
第1回全日本クラブマンレース (画像はこちらのサイトから) |