昭和32年10月19日・20日。
その年にできたばかりの浅間高原自動車テストコースで「第2回浅間火山レース」が開催されました。
大藪春彦の小説「汚れた英雄」の冒頭シーン、北野晶夫がリヤカーを曳いた自転車で向かっていたのがこの第2回浅間火山レース。
今年(2013年)は56年前とカレンダーの並びが同じで、晶夫が出場したウルトラライトウエイトクラス(125cc)のレースがあった土曜日19日に、あの伝説のシーンをちょっとでも感じたくて、浅間を目指して(自転車ではなく)バイクで行ってきました。
題して?、北野晶夫の足跡と浅間火山レースのコース跡地を訪ねる旅です。
横浜を午前4時に出発。
いきなりガス欠の恐怖を味わいながら、上信越道・碓氷軽井沢インターを降りて、軽井沢に向かって峠を登って行くと、そこはもう完全に雲の中。
早朝に着きたかったのは、北野晶夫と同じ時間に朝霧の中、コースに向かいたかったのと、道中が「La Festa Mille Miglia」のコースにもなっていたから。
ちょっと遅くなって、後半だけになってしまったけど、見られてよかった。
中軽井沢の交差点にて。TOYOTA 2000GT!
マルケス…じゃなくてNo.93アルファ・ロメオGIULIETTA SPIDER。
このあとしばらく後ろを走らせてもらっちゃいました。(途中で追い越させてもらったり)
もう少し早ければ、 右京さん+金子さん、マチャアキとかCKBのケンさんの姿も見られたのに。失敗した、残念。
マッチやアグリさんは見送ったはず? 清水國明さんも?
>>La Festa Mille Miglia エントリーリスト
ここが「朝霧に包まれた信濃沓掛ーー現在の中軽井沢ーーから北軽井沢に向けての上り坂」です。
朝霧というより雨?
こんなとこリヤカー曳いて自転車で走ったら何時間かかるのやら。
晶夫の亡霊には逢えなかったけど、この時点で今回の浅間詣の目的は半分以上達成だ!
坂を登り切るとある峠の茶屋。
鬼押出方面と北軽井沢方面の分岐のちょっと手前。
晶夫はここで一息入れ、リヤカーのキャンバスの下からビーフサンド(だっけ?)を取り出してかじりついた。
お約束です・・・。
このためにわざわざ麓のコンビニで仕入れたホットドッグをむさぼってみる。
晶夫の亡霊、ではなく、茶屋の猫達が5〜6匹一斉に餌を求めて集まってきた・・・。
峠の茶屋の先の分岐を右に行くと、道は緩やかに下り坂。
天候も雨ではなく、朝霧に近い感じに。
だんだんとコースが近づいてきました。
ちょっと行くとすぐに右折レーンが見えてきました。
ここが長野県と群馬県の県境で、浅間牧場の南西の端になります。
ここを右に曲がるともうすぐそこにコースが。
筑波サーキットならホームジョイの先の信号を過ぎたぐらい?
鈴鹿サーキットならホンダ鈴鹿製作所過ぎて南海部品の坂を登り始めたくらい?
SUGOなら東北道脇の道から田んぼの中の道に曲がって…?
ここが右折ポイント(右へ行くとテストコース)。
左に見えるのが「群馬県」「嬬恋村」の案内標識。
ここからは、第1回浅間高原レースのコースでもあるのです。
長野県側の公道が使えなくなったことから、浅間牧場内を通って、ここを右方面から来て正面側へ右折するコースとなったのでした。
コースの入り口発見!
「村有地に付き立入禁止・嬬恋村」の看板があってゲートが閉まってます。
右折してからわりとすぐだった。
鈴鹿なら鈴鹿青少年の森を過ぎたあたり?
筑波なら・・・?
もういい?
ゲートの奥の方に広場が見えます。
霧に包まれていてなんだか幻想的。
こっそり侵入ってわけにもいかないので、入口先の道から牧場が見える辺りまで行ってみます。
これまた幻想的な景色が見えてきました。
霧に包まれた浅間牧場。
おそらく、この眼の前がホームストレートからカスミのカーブに差し掛かる所あたりのはず。
「只今の気温6°C」
いったんメインストレート側から離れて国道146号に戻り、現在の浅間牧場の入口のほうへ移動してみます。
途中にあった温度表示は6°C。
東京の真冬仕様の装備で来て良かった・・・。
当時はどのくらいの気温だったのでしょうかね?
「浅間火山レース場跡」
国道沿いの北軽井沢観光案内所の案内看板にもちゃんと載ってました。
今回は天候が悪かったので、どこも景色はイマイチでしたが、ここ浅間牧場の丘の上の展望台からの景色は素晴らしかった。
眼下に広がる広大な高原風景。
遠くの山は見えなかったけど、十分にその雄大さを感じることが出来ました。
ちょっと方向は違うけど、この森の向こうにコースがあったんですよね。
ここからも走る姿は見えたのかな? 音はよく聞こえたでしょうね…。
再びメインストレート前へ。
浅間牧場の展望台から、今度は浅間高原レースのコースをたどり、浅間記念館をじっくり見学してから、再びメインストレート前へ戻ってきました。
朝イチより霧も晴れて、見渡せるようになりました。
間違いなく56年前の今日、ここで浅間火山レースが開催されていたんです。
そしてフィクションですが、北野晶夫がトップを独走していながら勝負の魔神に逃げられ転倒、マシン(YA-1)にダメージを負って最後はエンジンが完全にストップしながらもなんとか2位でフィニッシュしたあのレースが行われていた場所です。
コースの入口に戻るとゲートが開いていました。
中を除くと4輪の競技車が見えます。走行音も聞こえます。
中に入ってみました。
翌日のダートライベントの準備中とのことで、ちょっと見学させてもらうことに。
わずかに残されている浅間高原自動車テストコースの跡。
ここがまさにホームストレート!
ずっと雲の中だった浅間山が、一瞬だけ姿を見せてくれました。
景色に関しては、また今度、天気の良さそうな時に来てみたいと思います。
小説「汚れた英雄」では、午後の250ccのレースを見終えるや、すぐにコースを後にする晶夫。
犬の世話をするために、早くマクドナルドの別荘に帰らねばなりません。
沓掛から中山道を右に折れ、追分の手前で右に入って行くと、白樺林の中にマクドナルド家の別荘が。
そのあたりで白樺林を探してみたけど、あんまりそれらしい所がなくて、白樺のあるお宅をちょっと失礼してパチリ。
そして帰りがけに、当時、浅間でのレース開催に多大なる貢献をされた星野嘉助さん(三代目)の甥で、軽井沢二輪自動車資料館「モトテカ」の館長だった嘉苗さん(2009年に他界)のご子息・雅弘さんのお店「モトテカ・コーヒー」へ。
残念ながら星野さんにはお会いできませんでしたが、ここにもぜひ一度と思っていたので、来られて良かったです。
モトテカ・コーヒーの店内にはFBモンディアルのマシンが。
他にもクルマやバイクの本や展示物がそこここに。
おまけ
あったよ!マクドナルドさんち。
パトリシアもトミコもいなくて、ドナルドとバイトの娘が働いてました。
第1回浅間高原レースのコース(公道コース)についてや、当時の貴重な資料などが展示してある浅間記念館については別ページで。