二輪文化ブログ
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昭和33年の多摩川スピードウェイ

新年ということで、今年2018年から、40、50、60……年前にはどんなことがあったのかを改めて調べています。

そのうちの60年前、1958年(昭和33年)のできごと。
バイク関係に限れば、MCFAJ(全日本モーターサイクルクラブ連盟)の設立と第1回全日本クラブマンレース開催、ホンダスーパーカブ(C100)の発売などがあります。

さて、そんな昭和33年の古い雑誌をパラパラとめくっていたところ、思いがけずこんな記事に出くわしました。

「オートバイ」1958年12月号の記事です。

「オートバイ」1958年12月号より
「オートバイ」1958年12月号より

「オートバイの祭典」
「第1回日米対抗モーターサイクルレース ハイ・ライト」
のタイトル。
そして右ページのダートコースに背景の橋梁。
もしや、と本文を見てみると、

「全日本モーターサイクルレース会主催による第一回日米対抗モーターサイクルレースが、10月25日、多摩川の東急スピードウェイで行われた。」

これにはなかなか驚きました。

「オートバイ」1958年12月号より
「オートバイ」1958年12月号より

多摩川スピードウェイの末期

記事中の「多摩川の東急スピードウェイ」とは多摩川スピードウェイのこと。

実は多摩川スピードウェイの終焉時期については、「営業終了」とか「コース閉鎖」といった明確な期日がなく、いったいいつまでコースとして使用されたかがはっきりしません。

1955年の航空写真(地図・空中写真閲覧サービス)を見ると、既にオーバルコースの内側上流側半分は自動車練習場が作られています。

国土地理院の空中写真(1955年)
出典:国土地理院の空中写真(1955年)

昭和30年代以降は、この自動車練習場の一部として使われることになりレーシングコースとして使うことはもうなかったのかと思っていました。

そして、この記事が目に飛び込んできたのです。

昭和33年(1958年)10月25、26日に日米対抗モーターサイクルレースが行われていました。
コース全周を使ったのか一部だったのかはわかりませんが、あの場所で行われていたのは間違いないようです。
(火焔くぐりの向こうに階段状の観客席が見えます)

「オートバイ」1958年12月号より

当日の天候は雨で、翌日の26日のレースは12月に延期になったと記事にはありますので、その記事も探してみようと思います。

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