9月も終わろうとしていますが、ここで夏休みの宿題を提出したいと思います。
まずはこの写真。
課題をいただきました
Twitterで(個人アカ宛ですが)こんなメンションツイートをいただいたのは6月のことでした。
コレ↓の解説もお願いします????https://t.co/qJgI7R2nXZ
— n.h.a.19 (@19Nobu) 2017年6月22日
この写真自体は見たことがありましたが、パッと見てわかるのは右から二人目の伊藤光夫さんくらい。
先輩方に聞いてみました
せっかくお題をいただいたので、元スズキの先輩方にお聞きしてみました。 (当時スズキのテストライダーをしていた岩﨑勝さん、いつもお世話になっている荘利光さん、そしてスズキ2輪レース部門OBの山田容平さん、ありがとうございます!)
年代と登場人物
まずは年代。
岩﨑さんによれば、水冷3気筒のTR750(コードネームXR11)をデイトナに向けて新しく開発している時のテストの様子であろうとのこと。
デイトナでTR750がデビューしたのが1972年の3月なので、おそらく前年1971年の秋。
そして写っている方たち。 写真をもう一度。
画面右側当時の松木主査、伊藤光夫さん、鈴木さん、長谷川メカ、、(故)伊藤利一さん、(故)阿部孝夫さん、ツナギ姿の谷野さんテストで乗ってたかも?メカ?座ってる神谷さん、その隣? ? 岩崎さんなら全てわかるかも?以上です。(山田容平さん)
右から2番目は、マン島TTレース唯一の日本人優勝者の伊藤光夫さん(1963年50ccクラス)。 マシンの真後ろで帽子をかぶっている小柄な方が、スズキ関係の方からよくお名前は聞いていた伊藤利一さん。
伊藤利一さんいついては以下のページも是非ご覧ください。
→「スズキのレース活動を影で支えた職人気質 ”伊藤利一さん”」日本のモーターサイクルの夜明け(ソースは別冊モーターサイクリスト2003年8月号 文:東 信亨)
伊藤利一さんのとなりでマシンに両手をついている黒い皮ツナギ姿の方は谷野さん。
そしてその伊藤利一さんと谷野さんの間、後ろでメガネをかけてる笑顔の方。 80〜90年代のレースファンの方ならご存知のはずの阿部孝夫さん!
私、阿部さんとは全く気付きませんでした。
私の知っている阿部孝夫さんは2倍くらいの大きさだった気が…。
Formula 750(F750)
さらに岩﨑さんより補足が。
松木課長さん・鈴木素(まこと)さんはRG500のエンジン設計者です。 またこの時期新型TR750のエンジン・車体の設計も開始していましたね。同じ3気筒750ですがシリンダーが単体・カセット式T/M・マグネケースなど世界制覇を狙ったコンペマシンでした。・・・がWGPのレギュレーション変更で750ccクラスは消滅となり正しく幻のTR750となりました。Theマシン!!超カッコ良いエンジンでした。この時期私はTR500(2気筒)しか乗せてもらえない身分でした。(岩﨑勝さん)
「WGPの750ccクラス」というのは、FIM Formula750 (→Wikipedia:英語)のことで、1973年から79年まで開催されていました(1973年のチャンピオンはまさにこのTR750を駆ったバリー・シーン。)。
ということで、一枚の写真から、1970年代のスズキのレース活動の一部を教えていただくことができました。
以上、夏休みの宿題の発表を終わります。