6月7日。昭和11年に「第一回全日本自動車競争大会」が開かれたまさにその日。
当日、現地で合流した方と合わせて4名で、情報交換しつつ多摩川スピードウェイのコース跡地を一周歩いてきました。コースの痕跡がわずかに残ると思われる場所もありましたが定かではありません。
「別冊Old-timer vol.5」(八重洲出版)に掲載されていた当時のコース案内図から推察すると、やはり最終コーナー部分は当時の面影を残しているのかもしれません。
舗装なのかダートなのか?
いつみても、よくできてるなぁ、と思う多摩川スピードウェイ今昔比較オーバーラップ動画。
当時のコース路面ですが、完全舗装とか簡易舗装とか諸説ありますが、この映像などから判断すると、限りなくダートに近い簡易舗装とでも言いましょうか、現在のアスファルト舗装とはほど遠いものであることは間違いなさそうです。
戦前の日本の道路舗装について調べてみると、Yahoo!知恵袋にこんな質問と回答がありました。
戦前の東京市は55%が舗装されていたようですが、アスファルト舗装ですか? – Yahoo!知恵袋
つまりは舗装と入っても簡易舗装(マカダム舗装?)だったと思われます。
しかもレースに使えばすぐに傷んで掘り返されてしまったことでしょう。
やはり記念碑的なものが必要
当日は79年前と同じ日曜日。お天気もよく、たくさんの人たちで賑わっていました。
しかし、ここがかつてレース場だったことをいったいどれほどの人が知っているのでしょう。
先日のTVK(テレビ神奈川)のゆるーい旅番組「キンシオ」でも、中原街道を旅しながら丸子橋を渡り、「丸子の渡し」の碑には立ち寄ってましたが、反対側はスルー。
やはり歴史的遺構として、地元の方にも一般の方にも認知していただくためには、記念碑的なものが必要だと思います。
実際に実現に向けて動いている方々もいらっしゃいます(プレートの設置)。ぜひ地元の方の後押しがほしいとのことですので中原・新丸子の皆さんよろしくお願いします。
世界中から訪れる!?
「多摩川スピードウェイ詣」の帰りには、地元の方に教えてもらった新丸子駅前の「三ちゃん食堂」に寄り道。
これも立派な経済効果!
ホンダやニッサン、二輪・四輪問わず、とにかく日本のモータースポーツの由緒正しき場所であることは間違いないので、日本中いや世界中からこの地を訪れる人がいる可能性は十分ありですよ。
(こんな例もありますし・・・鎌倉に「スラムダンクの踏切」? 台湾から観光客増 : 朝日新聞デジタル)
経済効果も期待できるはず!