7月21日二輪文化ラジオ「鈴鹿8耐を語ろう!」

バイクに乗っていない人も楽しめる映像付きバイクラジオ番組「二輪文化ラジオ」。

7月のライブ配信は21日(金)夜9時からです。

今回のテーマは「鈴鹿8時間耐久レースを語ろう!」です。

昨年の番組:ライディングスポーツ青木編集長、8耐初出場の大久保光選手、濱原颯道選手を迎えて

今年は、みなさんからのコメント等を紹介しながら大いに8耐について語り合いたいと思います。

事前コメントは、Twitterfacebookページで受け付けております。
(ライブ中のコメントは、ライブ配信ページのソーシャルストリームで)

印象に残っているシーン、観戦エピソード、8耐への思い入れなど何でもOKです。

コメントお待ちしております!

ご来場特典あり!

今回も公開でやりますのでギャラリー大歓迎です。
ご来場特典として、蒔野靖弘先生が描いてくださった にゃんばちゃん(パーソナリティの難波祐香さん)のイラスト入り手作りステッカーをご用意しております。

会場は川口オート正門前のライブハウス・クロスオート39です。
場所等、詳しくはライブ配信ページにて。

ご来場もお待ちしております!


マン島TTレース:ホンダの初挑戦から58年

今年もマン島TTレースの時期になりました。

今年は、二輪文化ラジオに何度もゲストできていただいた山中正之選手が、いよいよTTレースにデビュー(SuperSportクラス)。
無事に、そして良いラップを刻んでくれることを願っています。

さて、そのマン島TTレースに日本人が初めて参加したのは、昭和5年(1930年)の多田健蔵さんでした。
次の挑戦はそれから実に29年のこと。

1959年(昭和34年)6月3日。

ホンダ選手は、初挑戦のTTレース(この年の125ccクラスは、マウンテンコースではなくクリプスコースで、一斉スタートでした)で、谷口尚己選手が6位入賞(世界選手権日本人初ポイント獲得)、鈴木義一選手が7位、田中楨助選手が8位、鈴木淳三選手が11位となり、見事チーム賞も受賞しました。

この年以降、ホンダの快進撃は続くので、この初挑戦もまた特別な意味を持って語り継がれています。

レジェンドライダー谷口尚己さんのアルバムから当時の写真を、既出のものも含めてご紹介します。

この年の125ccクラスはマウンテンコースではなくクリプスコースで一斉スタート
左から(敬称略)、鈴木淳三、鈴木義一、河島喜好、谷口尚己、田中楨助、ビル・ハント、関口久一、廣田俊二

 


幻のライダー伊藤史朗とヤマハ発動機創業者川上源一

伊藤史朗(サイクルワールド1984年6月号より)

「オレは日本のために、川上源一のためにやった。死んでもいいと思って、走ったんだ」

伊藤史朗(サイクルワールド1984年6月号より)

先日のフランスGPでヤマハが世界グランプリ500勝を達成。
そのはじめの一歩を記したのは、1963年ベルギーGP250ccクラスで優勝した伊藤史朗選手でした。

1963年ベルギーGPで優勝(「伊藤史朗の幻」より)

その後、とある事件をきっかけにして、追われるように、いや本人曰く「日本を蹴飛ばして」アメリカに渡った伊藤史朗。

冒頭の言葉は、その伊藤史朗さんがのちに残したもの。

川上源一さんはヤマハ発動機の創業者。
インタビュー記事の中で史朗は「川上源一だけがヤマハの中で唯一”魂”を持った人だった」と言っています。

川上源一(ヤマハ発動機創業者)

そんな二人の「魂」から始まったヤマハのグランプリ挑戦ヒストリー。

5月25日は、その川上源一さんの命日でした。