ハロウィーンと二輪文化:二輪文化ラジオ41 その1

10月の二輪文化ラジオは、20日(金)にライブ配信いたしました。
会場にもたくさんのギャラリーの方々にお集まりいただきました。
ご視聴&ご来場ありがとうございました。

今回はひとつの試みとして、前半の30分弱を切り分けて、アーカイブ版その1としてアップしてみました。

その内容を少々文字にしておきます。

読んでから見るか、見てから読むか?

二輪文化ラジオvol41-1

ハロウィーンと二輪文化

いつのまにやら日本にもずいぶん浸透してきた感のあるハロウィーン。
鉄器時代にヨーロッパに移ってきた古代ケルトの文化が発祥で、いわゆる秋の収穫祭だったとのこと。

イギリス周辺の島々にケルトの影響が色濃く残っているそうです。
そう。あの「マン島」もケルト文化圏。
英語と共に公用語であるマンクス語もケルト語をルーツに持つ言語。

ケルト→celt→celtic→セルティック→セルティ
「デュラララ!!」の首なしライダー「セルティ・ストゥルルソン」もケルト系のアイルランド神話の妖精「デュラハン」がモチーフ。

そんなケルト文化と二輪文化ラジオの繋がり・・・。

日本で広まったのは…

昭和時代にはほとんど誰も知らなかったハロウィーン。 いつからこんなに受け入れられるようになったのでしょう?

大きなきっかけは1997年東京ディズニーランドでハロウィーンイベントをやるようになったことのようです。
その後、ハロウィーン商戦が活発になり、ここ数年のSNSブームと仮装・コスプレブームがあいまって一気にメジャーになった感じ。

マイナー?メジャー?

ここ20年くらいで、日本ではマイナーなイベントだったハロウィーンが一気にメジャーになってきました。

しかし、都市部はともかく田舎のおじいちゃんおばあちゃんはハロウィーンのことをどのくらい知っているでしょう?
「トリックオアトリート」いったい何のおまじない?

それに比べてオートバイは、日本全国津々浦々、幼稚園で子どもたちに聞いても、老人施設でおじいちゃんおばあちゃんに聞いても、ほぼ100%「知っている」と答えると思われます。

ハロウィーンよりはるかにメジャーな存在。

無関心からの脱却

ほぼ知らない人はいないオートバイ。
でもなぜかマイナー感・疎外感があるのは否めません。
つまり大多数の人が「知っているけど興味がない、関心がない」状態。

「好き」の反対は「無関心」と言います。
この無関心からの脱却のためにどうしたらいいのか?

バイクに乗らなくてもバイクが好きな人を増やしたい

ライダーを増やそうとしても、免許に装備に車両と、ハードルはかなり高いと思います。
今の倍に増やすのは相当大変なことでしょう。
(倍になったところで実数としては果たしてどうなのか…)
また、子どもは当然として、年配者も新規ライダーにするのは基本的に難しい。

もっとハードルの低いところから取り組んでみてはどうなのか。
「バイクに乗っていなくても楽しめる話」で興味を引き、多くの人に関心を持ってもらいたい。

そして、「バイクに乗っていなくてもバイクが好きな人を増やしたい」。

それこそが二輪文化を伝える会の基本コンセプトなのです。


なかなか強引な展開ですね(笑)。

それでは、二輪文化ラジオvol41アーカイブ版その1「ハロウィーンと二輪文化」をどうぞ!

YouTubeライブ版(フルバージョン)は、high-tide radio のチャンネルで見られます。


一枚の写真から:スズキTR750(XR11)テストの写真(夏休みの宿題)

9月も終わろうとしていますが、ここで夏休みの宿題を提出したいと思います。

まずはこの写真。

課題をいただきました

Twitterで(個人アカ宛ですが)こんなメンションツイートをいただいたのは6月のことでした。

この写真自体は見たことがありましたが、パッと見てわかるのは右から二人目の伊藤光夫さんくらい。

先輩方に聞いてみました

せっかくお題をいただいたので、元スズキの先輩方にお聞きしてみました。 (当時スズキのテストライダーをしていた岩﨑勝さん、いつもお世話になっている荘利光さん、そしてスズキ2輪レース部門OBの山田容平さん、ありがとうございます!)

年代と登場人物

まずは年代。

岩﨑さんによれば、水冷3気筒のTR750(コードネームXR11)をデイトナに向けて新しく開発している時のテストの様子であろうとのこと。
デイトナでTR750がデビューしたのが1972年の3月なので、おそらく前年1971年の秋。

そして写っている方たち。 写真をもう一度。

画面右側当時の松木主査、伊藤光夫さん、鈴木さん、長谷川メカ、、(故)伊藤利一さん、(故)阿部孝夫さん、ツナギ姿の谷野さんテストで乗ってたかも?メカ?座ってる神谷さん、その隣? ? 岩崎さんなら全てわかるかも?以上です。(山田容平さん)

右から2番目は、マン島TTレース唯一の日本人優勝者の伊藤光夫さん(1963年50ccクラス)。 マシンの真後ろで帽子をかぶっている小柄な方が、スズキ関係の方からよくお名前は聞いていた伊藤利一さん。

伊藤利一さんいついては以下のページも是非ご覧ください。

→「スズキのレース活動を影で支えた職人気質 ”伊藤利一さん”」日本のモーターサイクルの夜明け(ソースは別冊モーターサイクリスト2003年8月号 文:東 信亨)

伊藤利一さんのとなりでマシンに両手をついている黒い皮ツナギ姿の方は谷野さん。

そしてその伊藤利一さんと谷野さんの間、後ろでメガネをかけてる笑顔の方。 80〜90年代のレースファンの方ならご存知のはずの阿部孝夫さん!

私、阿部さんとは全く気付きませんでした。
私の知っている阿部孝夫さんは2倍くらいの大きさだった気が…。

Formula 750(F750)

さらに岩﨑さんより補足が。

松木課長さん・鈴木素(まこと)さんはRG500のエンジン設計者です。 またこの時期新型TR750のエンジン・車体の設計も開始していましたね。同じ3気筒750ですがシリンダーが単体・カセット式T/M・マグネケースなど世界制覇を狙ったコンペマシンでした。・・・がWGPのレギュレーション変更で750ccクラスは消滅となり正しく幻のTR750となりました。Theマシン!!超カッコ良いエンジンでした。この時期私はTR500(2気筒)しか乗せてもらえない身分でした。(岩﨑勝さん)

「WGPの750ccクラス」というのは、FIM Formula750 (→Wikipedia:英語)のことで、1973年から79年まで開催されていました(1973年のチャンピオンはまさにこのTR750を駆ったバリー・シーン。)。


ということで、一枚の写真から、1970年代のスズキのレース活動の一部を教えていただくことができました。

以上、夏休みの宿題の発表を終わります。


打倒ファクトリーに執念を燃やした情熱の人:堀 雄登吉

この夏、40回記念大会を迎えた鈴鹿8耐。
その第1回から連続出場を続けるのはプライベーターの雄・ヨシムラだけです。

富樫ヨーコさんの「POP吉村の伝説」、手元にあるのですが、拾い読みしかしていなかったので、改めて読み直してみました。

ひとまず上巻(文庫版)を読みましたが、やはり出来事を年表で追いかけるより、ちゃんとストーリーになっている方が脳ミソに沁みわたりますね。

飛行機と関わった予科練時代、戦後のオートバイチューニングとの出会い、ゴッドハンドが日本全国そして世界中に名を轟かせていく。

そして、二輪文化を伝える会として重要視している、POPこと吉村秀雄さんと彼に関わる「人々のストーリー」。

ライダーとして見出された高武富久美さん、和田正宏(将宏)さん。ホンダとのパイプ役だった木村昌夫さん、メカニックとして濃密な時を過ごした松浦賢さん。
もちろん身内でもある、直江夫人、娘の南海子さん、由美子さん、不二雄現社長。それに森脇護さん、加藤昇平さん……。

その中でも特に触れたいのが、2輪と4輪の両方でヨシムラと関わりのあった堀 雄登吉さんです。

ファクトリーを相手に戦った 堀 雄登吉(ほり おときち)

吉村さんに関わる人たちの中で、割とよくお名前は聞くのに資料が少ないのが、東京オトキチクラブの代表を務めていた堀 雄登吉(ほり おときち)さん。

この本には、その堀さんとヨシムラとの関わりが、そしてファクトリー相手に執念を燃やすプライベーターとしての姿が描かれています。

ブリヂストンのモトクロスライダーとして活躍後にロードレースに転向。
2サイクル勢が圧倒的に速かった50ccクラスに、ヨシムラに頼み込んでチューニングしてもらったホンダCR110で、1966年MCFAJのチャンピオンを全勝で獲得。 翌67年はブリヂストンで90ccクラスチャンピオン、68年にはCR110の車体にカワサキの125ccエンジンを積んでチャンピオンを獲得。

69年から4輪のレースに出場するようになり、再びヨシムラチューンのマシンに乗るようになります。

軽自動車のエンジンを使ったフォーミュラクラスがプライベーターの間で盛り上がってきて、JAFの公認になった途端にファクトリー(メーカーチーム)が参入。
プライベーターの人たちはそんなファクトリーの打倒に燃えていたそうです。

その筆頭が堀雄登吉さん。ヨシムラチューンのマシンに乗り、富士スピードウェイの30度バンクでは「須走落とし」というテクニックを駆使し、ファクトリー勢のトラブルもあって優勝したレースでは、POPも他のプライベーターもその執念の勝利に涙したそうです。

「POP吉村の伝説」より

目指すはモーターパラダイス・オートルックツクバガレージ

筑波サーキットの前に「オートルック ツクバガレージ」があります。

私も筑波サーキットを走リ始めたころは、よくこのお店でレース用のオイルやゼッケンシールや買っていました。

このオートルックツクバガレージ(ATG)こそが堀雄登吉さんによる後進の育成の場でした。 元F1ドライバーの片山右京氏もこのオートルックガレージの出身です。

ATGのホームページで、堀さんのレース人生が書かれた本「走れオトキチ」を読むことができます。

「筑波サーキットに”モーターパラダイス”をつくること」が夢と語る堀さん。

最後にその序文の一部をご紹介しておきます。
ぜひ続きを読んでみてください。

何かに賭けること、その素晴らしさは、やってみなければわからない。
無我夢中で通り過ぎてきてはじめてわかるものなのかもしれない。
今、若さの真っ只中にいて、自分の道を選びあぐねている人たちに
“なんでもいいから自分の好きなものに賭けてみろ”というのは、
すこし単純すぎるアドバイスかもしれない。

ぼく自身も人生の岐路に立ったとき、悩みながら歩いてきた。
それが今振り返って見て、一筋の道に見えるだけなのかもしれない。

しかし、少なくとも常に燃えて生きてきたつもりだ。
それも好きだからこそ燃えることができたのだ。

ゴールの見えないスタートに立っている人たちよ、
走ることの不安にかられている人たちよ、
ぼくに合図をさせてもらえないだろうか、

今走れ出せと。青春を疾走する若者になれと、
スタートの旗を打ち振りたいのだ。

「走れ!オトキチ」堀 雄登吉)