多摩川スピードウェイ

2016年5月29日

日本初の常設サーキットがどこかご存知ですか?

鈴鹿サーキットでも、浅間高原テストコースでもありません。
それは昭和11年(1936年)頃、多摩川の河川敷に作られた「多摩川スピードウェイ」なんです。

一周1.2kmのダート(簡易舗装)オーバルコースで、3万人の観客を収容できたそうです。

探訪

東横線の車窓から

東横線の鉄橋から見る多摩川スピードウェイグランドスタンド跡(土手に見えるコンクリートの階段状のものです)

その多摩川スピードウェイの跡地を訪れてみました。

場所は多摩川の河川敷川崎市側で中原区上丸子あたり。
東横線の鉄橋のすぐ脇になります。

この跡地には、コースはもちろん残っていないのですが、当時のグランドスタンドが堤防沿いにしっかりとその跡を残しています。
これは東横線の車窓からもハッキリと見ることができます。
(鉄橋の上流側、つまり渋谷に向かって左側になります)


土手沿いにつづく階段状のグランドスタンド。下側の斜めのところも観客席だったと思われます。

最終コーナーから

最終コーナーからグランドスタンド方向を見る。
通路として使われているためここだけは今もコースの名残がわずかにあります。

グランドスタンドの階段

グランドスタンド中央のメイン階段。
大会本部席とか来賓席とか表彰台とかもこのあたりにあったのでしょうか…。

スタンドの座席跡

スタンドにある木製の座席を刺したという穴。
1m間隔であいています。

スタンド下段の斜面

下段の斜面のところにも同じように座席用の穴が。草が生えて穴ではなくなっていますが…

記念プレートが設置されました

多摩川スピードウェイにゆかりのある方々による「多摩川スピードウェイの会」(会長:片山光夫氏)のみなさんが川崎市など関係各所との折衝を重ね、開設80周年を機に、スタンド跡地部分に記念プレートが設置されました。


2016年5月29日 除幕式の様子

考察

↓のリンク先にある、実に細かい当時のコース建設についての考察が面白いです!
多摩川スピードウェイに関する他のページも含めてぜひ読んでみてください。

当時の新聞の資料や東急電鉄の社史などから考察しています。

昭和11年6月7日、本田宗一郎さんも出場したオープニングレース

1936年(昭和11年)6月7日に、多摩川スピードウェイのオープニングレースとして「多摩川第一回自動車競走大会」が開催されました。

このレースでは、本田宗一郎さんも弟の弁二郎さんと浜松号で出場。大クラッシュ(宗一郎さん全治1年半の重傷?)を演じてリタイヤしたというエピソードがあります。

オートバイレースの開催は…

オートバイのレースに限って言うと、
昭和11年のオープニングレースの前年(昭和10年)にプレオープン的にオートバイレースをやったという記録もあるようです。
戦時統制となる昭和14年頃まで、何度かレースが開催されていました。

戦後になると、二輪車産業の復興に合わせるように、昭和24年に第1回全日本モーターサイクル選手権が開催されます。
翌年の昭和25年に第2回が開かれ、ホンダの社員ライダー大村美樹雄さんが優勝。その実績を買われ、昭和29年のブラジル・サンパウロでのホンダ初の海外レースのライダーに抜擢されます。

当時の映像も残っている…

当時と現在を対比させた動画です。
まさに昭和11年6月7日の第1回大会のオリジナルの映像に、現代の写真を重ねあわせた「歴史浪漫」を十二分に感じさせてくれる動画です。
素晴らしいです!

昭和11年の秋には第二回自動車競争レースが行われ、その時の映像も残っています。

いつまでコースとして利用されていたかは定かでない…

昭和25年の第2回全日本モーターサイクル選手権以降は、大きな大会は開催されていないようで(騒音問題などがあったらしい)、自動車学校ができるなど、次第に別の用途に変更されてしまったようですね。

古地図と航空写真

現代(Google Map)と古地図を並べて比較できる「今昔マップ」から

今昔マップ

国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」より、1936年6月11日陸軍撮影の航空写真

国土地理院

建設当時の写真

とうよこ沿線

とうよこ沿線」のサイトに、昭和9年のコースや観客席の建設当時の写真が。

4輪のこけら落としレースは昭和11年ですが、コース自体はそれまでにいちおう完成していたと思われます。

モータースポーツの歴史的遺構として残しておきたい!

日本のモータースポーツにとって、非常に重要な役割を果たしたと思われる多摩川スピードウェイ。
せめてこのスタンド跡は、歴史的遺構として是非とも後年まで残しておけるようにしたいものです。

川崎市の「川崎市新多摩川プラン」で跡地保存が事業化

平成28年3月に策定された「川崎市新多摩川プラン」では、「子供の生きる力を育む場の創造:歴史的文化的資源の収集・伝承」の項目として「多摩川スピードウェイ跡地の保存」が実施事業となりました。

これをきっかけに、多くの皆さんに存在を知っていただくだけでなく、多摩川スピードウェイが果たした役割なども含め、保存・伝承されていけばと思います。(2016.4)

はまれぽ.comに取材協力

横浜・川崎・湘南のキニナル情報が見つかる!WEBマガジン「はまれぽ.com」のに取材協力しました。

朝日新聞「各駅停話」に取材協力

本田宗一郎
かつては伝説のレース場? 今も伝説です(笑)

鉄道路線の各駅周辺にまつわる話題を連載した朝日新聞の「各駅停話」東急東横線・新丸子駅の回(平成26年8月7日夕刊)で、多摩川スピードウェイが取り上げられました。(二輪文化を伝える会が取材協力しました)


東急東横線の多摩川駅・新丸子駅から歩ける距離ですので、一度訪ねてみてはいかがでしょうか?

参考資料(リンク・文献)

リンク

文献

2016年5月29日

Posted by 松島@二輪文化を伝える会