多摩川スピードウェイ
日本初の常設サーキットがどこかご存知ですか?
鈴鹿サーキットでも、浅間高原テストコースでもありません。
それは昭和11年(1936年)頃、多摩川の河川敷に作られた「多摩川スピードウェイ」なんです。
一周1.2kmのダート(簡易舗装)オーバルコースで、3万人の観客を収容できたそうです。
探訪
その多摩川スピードウェイの跡地を訪れてみました。
場所は多摩川の河川敷川崎市側で中原区上丸子あたり。
東横線の鉄橋のすぐ脇になります。
この跡地には、コースはもちろん残っていないのですが、当時のグランドスタンドが堤防沿いにしっかりとその跡を残しています。
これは東横線の車窓からもハッキリと見ることができます。
(鉄橋の上流側、つまり渋谷に向かって左側になります)
記念プレートが設置されました
考察
↓のリンク先にある、実に細かい当時のコース建設についての考察が面白いです!
多摩川スピードウェイに関する他のページも含めてぜひ読んでみてください。
-
夏休み自由研究 – A.C.T.S.用務員のコツコツ工作帖
- 1. 多摩川スピードウェイはどのあたりにあったのか?
- 2. 来歴と本田宗一郎さんのクラッシュ事件
- 3. 多摩川からマン島出場宣言
- 4. 戦後の多摩川スピードウェイと現在
- 5. 現存するグランドスタンド跡の考察
- 6. 果たして何万人も収容できる施設だったのか?
- 7. 地元図書館にはまだまだ資料がありそう
当時の新聞の資料や東急電鉄の社史などから考察しています。
- 自動車競争廃景③-多摩川スピードウエイ – Racing Views
昭和11年6月7日、本田宗一郎さんも出場したオープニングレース
1936年(昭和11年)6月7日に、多摩川スピードウェイのオープニングレースとして「多摩川第一回自動車競走大会」が開催されました。
このレースでは、本田宗一郎さんも弟の弁二郎さんと浜松号で出場。大クラッシュ(宗一郎さん全治1年半の重傷?)を演じてリタイヤしたというエピソードがあります。
- 今日は何の日?:6月7日 – Honda モータースポーツ
オートバイレースの開催は…
オートバイのレースに限って言うと、
昭和11年のオープニングレースの前年(昭和10年)にプレオープン的にオートバイレースをやったという記録もあるようです。
戦時統制となる昭和14年頃まで、何度かレースが開催されていました。
戦後になると、二輪車産業の復興に合わせるように、昭和24年に第1回全日本モーターサイクル選手権が開催されます。
翌年の昭和25年に第2回が開かれ、ホンダの社員ライダー大村美樹雄さんが優勝。その実績を買われ、昭和29年のブラジル・サンパウロでのホンダ初の海外レースのライダーに抜擢されます。
- オートレース60年の歴史(昭和24年11月6日 全日本モーターサイクル選手権大会開催(多摩川スピードウェイ)の記述)- Auto Race
当時の映像も残っている…
当時と現在を対比させた動画です。
まさに昭和11年6月7日の第1回大会のオリジナルの映像に、現代の写真を重ねあわせた「歴史浪漫」を十二分に感じさせてくれる動画です。
素晴らしいです!
昭和11年の秋には第二回自動車競争レースが行われ、その時の映像も残っています。
いつまでコースとして利用されていたかは定かでない…
昭和25年の第2回全日本モーターサイクル選手権以降は、大きな大会は開催されていないようで(騒音問題などがあったらしい)、自動車学校ができるなど、次第に別の用途に変更されてしまったようですね。
- 多摩川、「丸子橋」とその周辺の情景(中ほどに「昭和39年、東急自動車学校の練習コース」の写真) – とうよこ沿線
古地図と航空写真
現代(Google Map)と古地図を並べて比較できる「今昔マップ」から
- 新丸子周辺(1947) – 今昔マップ
国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」より、1936年6月11日陸軍撮影の航空写真
- 1936年6月11日(地図上のマークをクリック) – 地図・空中写真閲覧サービス
建設当時の写真
「とうよこ沿線」のサイトに、昭和9年のコースや観客席の建設当時の写真が。
4輪のこけら落としレースは昭和11年ですが、コース自体はそれまでにいちおう完成していたと思われます。
- 大正、昭和初期の武蔵小杉・新丸子(ページ一番下に「本田宗一郎ゆかりのオートレース場」) – とうよこ沿線
モータースポーツの歴史的遺構として残しておきたい!
日本のモータースポーツにとって、非常に重要な役割を果たしたと思われる多摩川スピードウェイ。
せめてこのスタンド跡は、歴史的遺構として是非とも後年まで残しておけるようにしたいものです。
川崎市の「川崎市新多摩川プラン」で跡地保存が事業化
平成28年3月に策定された「川崎市新多摩川プラン」では、「子供の生きる力を育む場の創造:歴史的文化的資源の収集・伝承」の項目として「多摩川スピードウェイ跡地の保存」が実施事業となりました。
これをきっかけに、多くの皆さんに存在を知っていただくだけでなく、多摩川スピードウェイが果たした役割なども含め、保存・伝承されていけばと思います。(2016.4)
はまれぽ.comに取材協力
横浜・川崎・湘南のキニナル情報が見つかる!WEBマガジン「はまれぽ.com」のに取材協力しました。
- 「多摩川河川敷に国内初のサーキットがあったって本当?」– はまれぽ.com
朝日新聞「各駅停話」に取材協力
鉄道路線の各駅周辺にまつわる話題を連載した朝日新聞の「各駅停話」東急東横線・新丸子駅の回(平成26年8月7日夕刊)で、多摩川スピードウェイが取り上げられました。(二輪文化を伝える会が取材協力しました)
- 「かつては伝説のレース場」(「各駅停話」東急東横線・新丸子駅)– 朝日新聞デジタル
東急東横線の多摩川駅・新丸子駅から歩ける距離ですので、一度訪ねてみてはいかがでしょうか?
参考資料(リンク・文献)
リンク
- 「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ(「時代とともに変化してきた河原」の項に多摩川スピードウェイの記述) – 新小杉開発株式会社 歴史資料館
- 報知新聞
文献
- 世紀を超えて--報知新聞百二十年史(報知新聞社)
- サーキットの夢と栄光/日本の自動車レース史(グランプリ出版)
- 東京横濱電鐵沿革史(東京急行電鉄株式会社)/昭和18年3月25日発行
- オートレース20年史(日本小型自動車振興会)/昭和48年9月20日発行