1962年11月3、4日「第1回全日本選手権ロードレース大会」開催(鈴鹿サーキット)

1962年(昭和37年)9月に日本初の舗装路面サーキットである鈴鹿サーキットが開業。
そして11月3日・4日の2日間に渡り、日本における本格サーキットでの初レース「第1回 全日本選手権ロードレース大会」が開催されました。

公式プログラム

大会組織図を見ると、名誉総裁として高松宮宣仁親王が、そして名誉顧問に多田健蔵の名前も。

エントリーリスト

ノービスクラスとセニアクラス、それぞれ50cc、125cc、250cc、350ccのクラス、計8クラスのレースが2日間にわたって開かれました。
エントリーリストを見ると、錚々たる面々がずらりと並んでいます。

公式プログラムとエントリーリストの資料データは、このレースのノービス125ccクラスに出場されていた静岡の横山オートスポーツさんからご提供いただきました。

雨の開幕

3日(土)はあいにくの雨。観戦も足元が悪く大変だったようです。
翌4日(日)は好天となり、大観衆の中、熱戦が繰り広げられました。
(写真は谷口尚己さん提供)

デグナー転倒!

11月4日(日)に行われたセニア50ccクラス決勝レース。
トップを独走していたこの年の世界グランプリ50ccクラスチャンピオンのエルンスト・デグナー(スズキ)が、トップを独走中の4周目、80Rの右コーナーで突風に煽られ転倒!
のちにこのコーナーが「デグナーカーブ」と呼ばれるようになったのは、この出来事が所以なのでした。

出典・参考