二輪文化ブログ
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本田宗一郎

ほんだそういちろう:1906年(明治39年)11月17日 – 1991年(平成3年)8月5日
本田技研工業創設者

誰しもが認める世界に誇る日本人

本田宗一郎
戦前の全日本自動車競走選手権の優勝カップを手に

ここで敢えて述べるまでもなく、世界的にも有名であり、最もリスペクトされている日本人のひとりであることは間違いありません。
モーターサイクル・自動車の分野のみならず、技術者として、経営者として、ひとりの人としての生き方など、様々な面で取り上げられています。
Wikipediaでも日本語を含め28ヶ国語で掲載されています。

多摩川スピードウェイでの伝説

昭和11年(1936年)6月7日に、神奈川県川崎市の多摩川河川敷にあった多摩川スピードウェイで開催された「第一回全日本自動車競走大会」。
日本初の常設サーキット(オーバルコース)多摩川スピードウェイのこけら落としとして開かれたこのレースに、本田宗一郎さんは弟の弁二郎さんを伴い、2年の月日を掛けて自ら制作した「浜松号」に乗り自走で参加しました。
抜群の速さを誇った浜松号ですが、なんと全走車に接触して横転。宗一郎さん弁二郎さんとも大怪我を負ってしまいます。

本田宗一郎
多摩川スピードウェイでのクラッシュシーン

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参考文献・サイト

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