1959年(昭和34年)にホンダが初めてマン島TTレースに出場した時のライダーであり、同時に初出場で6位入賞、ロードレース世界選手権で初めてポイントを獲得した日本人ライダーでもある谷口尚己(たにぐちなおみ)さん。
その谷口さんから、貴重な当時の写真や資料をまとめたアルバムを見せていただいたので、こちらで随時紹介していきます。
(ホームページへの掲載は許可をいただいております)
たくさんの写真がありますので、順次掲載していきます。
またブログでのご紹介時は、年代が前後すると思いますがご了承ください。
1959年マン島TTレース初出場
1959年4月、羽田空港よりB.O.A.C.の最新型コメット機で出発。
B.O.A.C.とは英国海外航空のことで、当時のイギリス国営航空会社。今のブリティッシュ・エアウェイズの前身。(→ウィキペディア:英国海外航空)
ついでに、最新型コメット機とは、デ・ハビランド社のコメットMk.IVでしょうか。(→ウィキペディア:デ・ハビランド_DH.106_コメット)
今と違って、海外に行くのもまだまだ大変な時期ですね。
次は、お見送りする側。
出発は4月、レースは6月3日。
つまり、およそ1ヶ月以上前から現地入りして、下見と練習をしていたそうです。
マン島TT初出場までのエピソードは、同行したマネージャー飯田佳孝さんのインタビュー記事にも詳しく紹介されています。(→日本モーターサイクルレースの夜明け)
運命の日:1959年6月3日 快晴
この年のTTレースはマウンテンコースではなく、クリプスコースで行われました。
また、レースは2台ずつのタイムアタック方式ではなく一斉スタートでした。
ブランディッシュコーナーとはコースのどのあたりか調べたところ、クレッグニーバー(よく写真で見るコーナーです)の次の左コーナー。
写真は右コーナーなので、ふと疑問に思い、さらに調べてみると…。
この区間はマウンテンコースとクリプスコースで共用する部分なのですが、クリプスコースで走る時は逆向きに走ることになるんですね。(→クリプスコース・コース図)
よって右コーナーで正解というわけです。
写真はまだまだたくさんあります。
全部で何回に分けて掲載することになるか予測がつきませんが、数枚ごとにまとめて記事にしていく予定です。
次回をお楽しみに。