6月の二輪文化ラジオは、やはりアキオ・・・

6月の二輪文化ラジオは、6月26日(金)よる9時からです。

いつものように、Ustream “high-tide radio” のチャンネルをお借りして、川口オート正門前にある元ホンダ&スズキのファクトリーライダー荘利光さんのライブハウス「CROSS ROAD 39」からお送りいたします。

radio今回は、会場のゲストに、私・松島と同い年であり、25年ほど前、ノービスレーサー時代にGP250クラスで競いあっていた元SRT(荘さんのチーム)のライダー高野博文くんをお迎えして、当時レースブームの火付け役でもあった「汚れた英雄」についてあれこれふたりで語ろうかと思っています。

映画はもちろん、小説についてもマニアックに語りますよ。
最近になって気づいたこと・わかったことがたくさんあるんです。

特に浅間のレースは、第1回の浅間高原レースから今年(2015年)で60年という節目の年。

もちろん私が生まれる10年も前のことですから、見たことがあるはずもないのですが、この大藪春彦の小説「汚れた英雄」を何度も読み返していたことで、その時代の知識がわずかながらでも頭の中に刷り込まれていたことは確かなのです。

汚れた英雄マニアの皆さん、お楽しみに!


6月といえばマン島TTレース関連、そしてアキオ・・・

1959iom百年以上の歴史を持ち、かつては世界選手権(世界グランプリ)の一戦であり、毎年5月末〜6月にかけて行われるのが「マン島TTレース」。

戦後、ホンダを皮切りに日本メーカーが世界へのアピールの舞台としてこのマン島を選びました。
そのため、数々のエピソードもそこから生まれてくるわけです。

二輪文化を伝える会では「今日は何の日」として、さまざまな記念日をご紹介していますが、6月はマン島関連がたくさん出てきます。

Twitterへの投稿をピックアップしてみました。

1959年6月3日はホンダが初めてマン島TTレースに出場した日

谷口尚己さんが6位、鈴木義一さんが7位、田中楨助さんが8位、鈴木淳三さんが11位で、初出場でチーム賞も獲得しました。

1961年6月12日は、ホンダがマン島TTレースで初めて優勝

伝説のライダー、マイク・ヘイルウッドによる偉業達成。

1963年6月14日は伊藤光夫さんが日本人初優勝した日

6月16日は、昭和5年に多田健蔵さんが日本人で初めてマン島TTレースに出場した日

この時期、小説「汚れた英雄」の主人公・北野晶夫の命日もありました(6月11日)。
北野晶夫も、1959年ホンダの初参戦を現地で見ており、翌1960年には250ccクラスと350ccクラスで初出場初優勝を飾っています。

汚れた英雄ネタは、お父さん世代から上には非常にウケが良いので、また北野晶夫に頼ってみたいと思います。
(実際に浅間やマン島など、とても参考になることも多いので取り上げる価値ありなんです)


多摩川スピードウェイ跡地の経済効果は?

6月7日。昭和11年に「第一回全日本自動車競争大会」が開かれたまさにその日。

当日、現地で合流した方と合わせて4名で、情報交換しつつ多摩川スピードウェイのコース跡地を一周歩いてきました。多摩川スピードウェイ全景コースの痕跡がわずかに残ると思われる場所もありましたが定かではありません。

「別冊Old-timer vol.5」(八重洲出版)に掲載されていた当時のコース案内図から推察すると、やはり最終コーナー部分は当時の面影を残しているのかもしれません。

多摩川スピードウェイ・コース案内図

 

多摩川スピードウェイ
最終(第4)コーナーイン側あたりか?(2013年6月7日撮影)

舗装なのかダートなのか?

いつみても、よくできてるなぁ、と思う多摩川スピードウェイ今昔比較オーバーラップ動画。

当時のコース路面ですが、完全舗装とか簡易舗装とか諸説ありますが、この映像などから判断すると、限りなくダートに近い簡易舗装とでも言いましょうか、現在のアスファルト舗装とはほど遠いものであることは間違いなさそうです。

戦前の日本の道路舗装について調べてみると、Yahoo!知恵袋にこんな質問と回答がありました。

戦前の東京市は55%が舗装されていたようですが、アスファルト舗装ですか? – Yahoo!知恵袋

つまりは舗装と入っても簡易舗装(マカダム舗装?)だったと思われます。

しかもレースに使えばすぐに傷んで掘り返されてしまったことでしょう。

やはり記念碑的なものが必要

当日は79年前と同じ日曜日。お天気もよく、たくさんの人たちで賑わっていました。

多摩川スピードウェイ跡地

しかし、ここがかつてレース場だったことをいったいどれほどの人が知っているのでしょう。

先日のTVK(テレビ神奈川)のゆるーい旅番組「キンシオ」でも、中原街道を旅しながら丸子橋を渡り、「丸子の渡し」の碑には立ち寄ってましたが、反対側はスルー。

やはり歴史的遺構として、地元の方にも一般の方にも認知していただくためには、記念碑的なものが必要だと思います。

実際に実現に向けて動いている方々もいらっしゃいます(プレートの設置)。ぜひ地元の方の後押しがほしいとのことですので中原・新丸子の皆さんよろしくお願いします。

世界中から訪れる!?

新丸子駅前・三ちゃん食堂「多摩川スピードウェイ詣」の帰りには、地元の方に教えてもらった新丸子駅前の「三ちゃん食堂」に寄り道。

これも立派な経済効果!

ホンダやニッサン、二輪・四輪問わず、とにかく日本のモータースポーツの由緒正しき場所であることは間違いないので、日本中いや世界中からこの地を訪れる人がいる可能性は十分ありですよ。
(こんな例もありますし・・・鎌倉に「スラムダンクの踏切」? 台湾から観光客増 : 朝日新聞デジタル)

経済効果も期待できるはず!

多摩川スピードウェイ
ご一緒いただいたみなさん、ありがとうございました! (たぶん当時のものでは全然ないガードレールの支柱)