昭和34年 第1回全日本モトクロス大会(信太山)の貴重映像

1960年代 第1次モトクロスブームのところでも書きましたが、第1回全日本クラブマンレース(浅間コース)の翌年(昭和59年)4月19日に、大阪の信太山(しのだやま)特設コースで開かれたのが「第1回全日本モトクロス大会(MCFAJ)」。
初めてモトクロスという名前が使われた大会です。

その貴重映像を”静爺さん”にご提供いただきました!
(8mmで撮影、後にVHS、DVDへと焼き直したものです。)

通称「地獄谷」の様子や、当時18歳の北野元選手の姿も見られます。

今で言うエンデューロのようなレース展開ですねぇ。
マシンもライダーもまだまだ「モトクロス」になっていなくて、悪戦苦闘の様子がわかります。

レース結果は、
125ccクラス優勝:久保和夫(ヤマハYA-1、城北ライダース)
250ccクラス優勝:中尾保
251cc以上クラス優勝:藤井猛
オープンクラス優勝:北野元(ホンダMF350)
(「モトクロス黄金時代」より)

「二輪文化を伝える会」から

  • 1959年 第1回全日本モトクロス競技大会(MCFAJ)
関連リンク

フジクラタイヤ

画像は「れとろ看板写真館」から

フジクラタイヤ。
つい最近まで知りませんでした。

浅間の頃(昭和30〜34年)、藤倉のOFF用タイヤを履いていた、とのコメントをFacebookで発見。

オートバイもたくさんメーカーがあった時代です。
タイヤメーカーもそれなりにたくさんあったのかな?

他にどんなタイヤが使われていたのか、ちょっと調べみたけどよくわかりません。

ダンロップやブリヂストンは?

こんな広告は見つけました。

画像は、1963年発行のMFJ情報誌「ライディング」
もてぎハウス物語」さんから


メイハツ、トーハツ、ダイハツ、ヤマハ発動機

「発動機」って言葉、今や「ヤマハ発動機」でしか聞かないような。

ネット辞書で調べると、ずばり「動力を発生する機関。エンジン。」。


*

さて浅間の頃によく聞くメーカー「トーハツ」。
一時は日本一のオートバイメーカーでした。


画像はブログ「さびさび」さんから

想像つきます。そもそもは東京発動機。(→Wikipedia

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そして「メイハツ」。
カワサキオートバイの前身のひとつ。明発工業(のち川崎明発工業)。

画像は「HONDA CL72をと日々の出来事」さんから
漢字からなんとなく想像できました。

カワサキの工場がある明石+発動機。略して明発。
(参考:原付王国

*

最後に「ダイハツ」。
二輪車は作っていなかったようですが、当時オート三輪では一大メーカー。
【追記】ダイハツとしてではないけれど、子会社のツバサ工業ツバサ号の設計はダイハツが行っていたとのことです。(60おじさんこと山本隆さん、ありがとうございます)

この流れでだいたい分りますね。

かつての社名は「動機製造株式会社」。
株式市場で「トーハツ」と区別するために、「大阪の」という意味で「ダイハツ」と略称されるようになり、それが社名になったとのこと。(→Wikipedia



関東生まれ関東育ちの私は知りませんでした!



ちなみに現在の本社の所在地は「大阪府池田市ダイハツ町」なんですね。

そんなトリビアねたでした。