伊藤史朗
いとうふみお
第1回浅間高原レースで優勝、ヤマハにGP初優勝をもたらした幻の天才ライダー
1939年(昭和14年)10月10日 – 1991年(平成3年)3月10日
幻の天才ライダー
東京都大田区出身
1939年10月10日生まれ1955年第1回浅間火山レース250ccクラスで1位になったのは東京・大田区のライラック販売店推薦のフミオだった。OHV3段変速のライラックSYに乗る彼が、OHC4段変速のホンダ陣営に食い入ることは誰も予想しなかった。史朗は1957年の第2回浅間にはヤマハの250で出場。他社を圧倒する快走中にクランク焼き付きでリタイヤ。勝つかリタイヤの両極端な走りが伊藤を強烈に印象づけた。1991年3月10日、アメリカで客死。
ヤマハに世界GP初優勝をもたらしたライダー(1963年ベルギーGP)
1963年(昭和38年)、デイトナUS GPで250ccクラス優勝。さらに世界グランプリでは、ベルギーGP(スパ・フランコルシャン)で、ヤマハにGP初優勝をもたらし、ランキング3位を獲得。
- 最後まであきめない。土壇場でつかんだ初勝利 – ヤマハWGP参戦50周年特設サイト
1958年カタリナGP
参考リンク
- 【参考】伊藤史朗 – Wikipedia
- 【参考】伊藤史朗 – ヤマハWGP参戦50周年特設サイト
- 【参考】浅間の英雄 伊藤史朗 – 日本モーターサイクルレースの夜明け
- 【二輪文化を伝える会・ブログ】伊藤史朗