終戦の日に思う、戦後の日本とオートバイ産業

2015年8月15日ブログ

8月15日終戦の日。
今から70年前、太平洋戦争に敗れた日本は、敗戦国としての道を歩むことになります。

悲しいかな戦争は、日本の機械工業の技術を進歩させましたが、敗戦後の日本は、GHQにより航空機の製造も研究も禁止、乗用車の製造も許されませんでした。

軍需産業は平和産業へ転換されることになり、かつての技術者らは、その技術の活かせそうな輸送機器や金属製品などの生産で食いつないでいくことになります。

不屈の精神というのか、食うために知恵を絞ったというのか、技術者たちの情熱は、禁止されていない「オートバイ」の製造や、自転車に取り付けるエンジンの製造へと向かい、それらは庶民の足となって戦後の復興を支えていきました。

それが、戦闘機「隼」「疾風」の中島飛行機から分かれた富士産業(現・富士重工)のラビット・スクーターであり、「零戦」の三菱のシルバーピジョンであり、みづほ自動車やホンダ、トヨモータース、ブリヂストンなど多くのメーカーが製造した自転車取り付け用補助エンジン(バイク・モーター)でした。

その後昭和20年代後半には、需要の増加とともに、朝鮮戦争による特需や各種統制の解除、また初期投資費用が低いこともあり、二輪車産業への参入企業が多数現れます。

ピーク時には150社以上のメーカーがあったと言われています。

当然競争は激化し、淘汰が始まります。設備投資・量産体制・販売体制などが問われ、資本力・技術力の劣るメーカーは舞台から去っていきました。

勝ち残ったメーカーは海外へも進出し、レース活動で好成績をあげるなどしてその技術力をアピール。国内販売のみならず海外でもシェアを広げていきました。

こうして敗戦の焼け野原から立ち上がった日本のオートバイ産業は、多くの人たちの流したたくさんの汗と涙により、終戦後わずか15年あまりで世界を席巻するまでになったのです。


今も世界中にファンを持ち、リスペクトを受ける日本のオートバイ。
戦後の日本のあゆみと共に、私たちはもっとその歴史を知っておくことが必要だと思います。

今、二輪に関わっている私たちの他に、いったい誰がそれを伝えていくことができるのでしょうか・・・。

富士産業(現・富士重工)のラビット
富士産業(現・富士重工)のラビット
三菱シルバーピジョン(トヨタ博物館の展示車)
三菱シルバーピジョン(トヨタ博物館の展示車)
ホンダカブF型(本田宗一郎ものづくり伝承館の展示車)
ホンダカブF型(本田宗一郎ものづくり伝承館の展示車)
ブリヂストン BSモーター(トヨタ博物館の展示車)
ブリヂストン BSモーター(トヨタ博物館の展示車)
街角で活躍するトヨモーター(昭和30年頃)
街角で活躍するトヨモーター(昭和30年頃)