和風総本家にヤマハ創業者・山葉寅楠さんが!

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テレビ大阪製作「和風総本家」

週末の夜、録りためてしまったTV番組を見ていました。

よく見る番組のひとつ、テレビ大阪製作の「和風総本家」。
(関東ではテレビ東京で木曜よる9時から)

9月放送の「日本を支えるスゴイ機械」の2時間スペシャルを見ておりました。

すると。

日本の機械を変えた伝説の職人

これまで、日本初の自動織機(1896年完成)のトヨタの豊田佐吉さん、日本初の大型電気機関車(1924年完成)の日立の小平浪平さん、ブリヂストンの石橋正二郎さん、クボタの久保田権四郎さん、シャープの早川徳次さん、セイコーの服部金太郎さんらを紹介してきたコーナー「日本の機械を変えた伝説の職人」です。IMG_2171_s

今回は、幕末の紀州和歌山に生まれ、今日の音楽教育や芸術活動に欠かせないものを国産化し、日本の文化を変えた男の物語。

はて?

以下、番組の内容をかいつまんで。

彼は、1851年に紀州藩士の三男として和歌山に生まれました。
父親は紀州藩で天体観測や土地測量の仕事をしていたため、家には様々な機械があり、自然と機械に興味を抱くようになりました。

激動の幕末で彼が衝撃を受けたもの、それは「スペンサー銃」、連射式の銃です。
西洋の技術に驚かされます。

そして明治初期、長崎でも西洋製品に触れます。特に時計。
彼は国産の時計を作ろうと、イギリス人技師から時計技術を学びます。

さらに、顕微鏡のほか西洋の医療機器を目にし、
このような最新の医療機器が日本にもっとたくさんあれば、より多くの人を救うことができる、とその修理技術を習得。

その後、その技術を活かして時計や医療機器の修理を手がけながら全国を転々。

明治19年35歳、運命の静岡県へ。

地元の小学校からの修理依頼は、木製の大きな箱、西洋から輸入された高価なオルガンでした。IMG_2179_s

彼は、修理もさることながら、その構造を克明にスケッチし、

「思えば今の日本は、西洋のもので溢れかえっている。
なぜ自分たちの手でものを作ることをしないのか。
これなら俺でも作れる。俺が国産のオルガンを作ってみせる」
「このくらいの仕組みならば、自分はもっと良いオルガンを半分の値段で作ることができる。
そうすれば、日本に多くのオルガンが普及し、この国の音楽教育はもっと良くなる。
だから、黙って自分に任せて下さい。」

IMG_2163_sそうして国産のオルガン作りに着手。
わずか2ヶ月でオルガンを完成させました。

明治20年、36歳の時、国産オルガンの販売開始。
海外製のおよそ半分の値段。
安くて質がよく、全国の学校から注文が入りました。

明治25年には評判が海外にまで伝わり、イギリスに78台のオルガンを輸出するまでになります。

IMG_2174_sそんな彼の名は「山葉寅楠(やまは とらくす)」。
日本が世界に誇る楽器メーカー、ヤマハの創業者です。

65歳で亡くなるまで、様々な楽器の国産化に成功しました。

国産ピアノ、ハーモニカ(大正3年製造開始)、木琴(大正4年製造開始)、(昭和8年製造開始)、トランペット(昭和40年製造開始)、蓄音機(大正11年製造開始)、スピーカー(昭和49年製造開始)、オートバイ(昭和30年製造開始)、モーターボート(昭和35年製造開始)・・・IMG_2169_s

これらのヤマハ製品には、「日本のために自分にできることは何か」と常に自問し、日本の未来を考えていた彼の魂が込められているのです。

自作のオルガンは、決してすんなりできたわけではなく、並々ならぬ苦労がありました。
そのエピソードはこちらのサイトでどうぞ(→天秤棒で荷物を担いで270km・・・山葉寅楠:ねずさんのひとりごと)。


ホンダの創業者・本田宗一郎さんのストーリーはよく目にしますが、それに比べヤマハの創業者・山葉寅楠さんの話はあまり聞いたことがありませんでした。

オートバイの製造に直接関わったわけではないので、仕方ない部分もあると思いますが、「ヤマハの創業者は?名称の由来は?」と聞かれ「山葉寅楠」と答えられる人は案外少ないのではないでしょうか。

ちなみにこのピアノなど楽器を作る技術から、軍の要請で飛行機の木製プロペラを作るようになり、テスト用に動力装置を作ったのが、のちのオートバイ製造へ繋がっていったと言われています。


和風総本家は、「日本っていいな。」をテーマに、「日本の素晴らしさを再認識しませんか?」という番組です。
ナレーションがサザエさんのお母さん・フネさん(麻生美代子さん)なのもいいですね。
さらに「世界で見つけたMade in JAPAN」というスペシャルもお勧めです。