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日本のオートバイ年表(できごと)

1936年(昭和11年)6月 多摩川スピードウェイ(日本初の常設サーキット)でこけら落しレース開催

昭和11年6月7日、日本初の常設サーキット多摩川スピードウェイのこけら落としレース「全日本自動車競走大会」開催

日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」

本田宗一郎
今も残る観客席跡

それまでも競馬場や特設コースなどを使ってオートバイレースは開催されていましたが、観客席を備えた常設のレース場としては、この多摩川スピードウェイが初と言われています。
今も多摩川の堤防には、当時建設された観客席(グランドスタンド)の跡が残っています。歴史的遺構です。(詳しくは「歴史探訪:多摩川スピードウェイ」)

第一回全日本自動車競走大会がこけら落とし

本田宗一郎
大会の番組表(プログラム)お二人の名前も

コースの完成時期に関しては諸説ありますが、昭和11年6月7日に開催されたこの「第一回全日本自動車競走大会」がこけら落としのレースだったようです。
ホンダの創設者本田宗一郎さんは、弟の弁二朗さんを伴って自ら製作した浜松号で出場、また、昭和5年にマン島TTレースに出場した多田健蔵さんも、ベントレーとダットサンで出場しています。

本田宗一郎さんダントツの速さを見せるも激しくクラッシュ

本田宗一郎さんのクラッシュシーン
浜松号のクラッシュシーン

自身でチューニングした「浜松号」は圧倒的な速さ(平均時速120kmを記録)したものの、前走車に接触して激しく横転。

このレース中の事故を伝える当時の新聞記事を発見

本田宗一郎さんのクラッシュシーン
「本田宗一郎選手」の事故を報じる当時の新聞

このレース中の事故を伝える新聞記事(東京朝日新聞 昭和11年6月8日)を見つけました。
「自動車大会で側面衝突」という小さな見出しの記事。
記事の内容は、
「川崎市上丸子自動車競争場の全日本自動車競走大会」で「本田宗一郎選手」の「自動車は三回半回転し同人は顔面その他に全治二週間 弁次郎は脊髄捻挫全治三ヶ月の重症を負った」(旧字体は変換してます。...あと、正しくは「弁二郎」さん)というもの。
レースのことではなく事故を報じる記事ですが、本田技研を創設する10年以上前、おそらくまだ無名であっただろう本田宗一郎さんがこういう形で報道されていたとは!

参考・関連リンク

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