メイハツ、トーハツ、ダイハツ、ヤマハ発動機

「発動機」って言葉、今や「ヤマハ発動機」でしか聞かないような。

ネット辞書で調べると、ずばり「動力を発生する機関。エンジン。」。


*

さて浅間の頃によく聞くメーカー「トーハツ」。
一時は日本一のオートバイメーカーでした。


画像はブログ「さびさび」さんから

想像つきます。そもそもは東京発動機。(→Wikipedia

*

そして「メイハツ」。
カワサキオートバイの前身のひとつ。明発工業(のち川崎明発工業)。

画像は「HONDA CL72をと日々の出来事」さんから
漢字からなんとなく想像できました。

カワサキの工場がある明石+発動機。略して明発。
(参考:原付王国

*

最後に「ダイハツ」。
二輪車は作っていなかったようですが、当時オート三輪では一大メーカー。
【追記】ダイハツとしてではないけれど、子会社のツバサ工業ツバサ号の設計はダイハツが行っていたとのことです。(60おじさんこと山本隆さん、ありがとうございます)

この流れでだいたい分りますね。

かつての社名は「動機製造株式会社」。
株式市場で「トーハツ」と区別するために、「大阪の」という意味で「ダイハツ」と略称されるようになり、それが社名になったとのこと。(→Wikipedia



関東生まれ関東育ちの私は知りませんでした!



ちなみに現在の本社の所在地は「大阪府池田市ダイハツ町」なんですね。

そんなトリビアねたでした。


1960年代 第1次モトクロスブーム

時代は浅間の頃に戻って・・・。
モトクロス黄金時代」(八重洲出版)から。

第1回の浅間高原レースが1955年(昭和30年)、第1回の全日本クラブマンレース(浅間)が1958年(昭和33年)。
その翌年の1959年(昭和34年)4月に大阪・信太山(しのだやま)特設コースで「第1回全日本モトクロス競技大会」が開催されます。

これまで「スクランブルレース」と呼ばれていたものが、この大会で初めて「モトクロス」という名が使われたということです。
各クラス優勝者は、久保和夫(125cc)、中尾保(250cc)、藤井猛(251cc以上)、北野元(オープン)。

その後1961年(昭和36年)に現MFJ(日本モーターサイクル協会)が設立され、1964年(昭和39年)には、MFJ第1回モトクロス日本GP(群馬・相馬ヶ原)が開催されます。
この第1回モトクロス日本GPでは、50ccが小島松久(マウンテンライダース・スズキ)、125ccと250ccが久保和夫(城北ライダース・スズキ)、251cc以上クラスが三室恵義(スポーツライダース・ヤマハ)が優勝。

このころは、1962年(昭和37年)に鈴鹿サーキット、1965年(昭和40年)に富士スピードウェイが開業しますが、モトクロスも全国各地で開催され、ブームとなっていったそうです。

1967年(昭和42年)からは、MFJが全日本モトクロス選手権シリーズを開始。
初代のチャンピオンに輝いたのは、90cc山本隆(カワサキ)、125cc吉村太一(ホンダ)、250cc山本隆(カワサキ)。

1967年MFJ全日本選手権岡山大会での山本隆さん
隣にいるのが星野一義さん
(写真はホーリーエクイップさんから)

翌1968年(昭和43年)のモトクロスチャンピオン(セニアクラス)は、90cc星野一義(カワサキ)、125cc星野一義(カワサキ)、250cc山本隆(カワサキ)。

1969年(昭和44年)は、セニア90cc山本隆(カワサキ)、セニア125cc矢島金次郎(スズキ)、セニア250cc鈴木忠男(ヤマハ)。

こんなどこかで聞いたことあるような(?)今も多方面でご活躍中の方々がチャンピオンを獲得された黎明期なのでした。


大正15年にもレースはやっていたのですよ!

時はまたまたはるかに遡って大正15年(1926年)。

大正15年は昭和元年でもあります。時代背景はこんな感じ(→Wikipedia 1926年)です。前年の大正14年(1925年)は普通選挙法が公布。25歳以上の男子に選挙権が与えられた年。
そんな頃。

大正15年9月19日に、愛知県の津島市の天王川グラウンドで行われた「全国オートバイ競争」。

 (ナレーションより)
外国選手を迎え撃つ、石原、水谷、丸金?の地元選手。
全長800mのコース。
観客は延べ20万人!?
プロ選手とアマチュ選手数百名が参加?
優勝は松岡選手。賞金は金十圓也。

(追加のナレーションより)
昭和42年まで19回開催された。主催はMC同志会。

映像からも池の周りの楕円コースのようなので、おそらくここでしょう。

大きな地図で見る

こういうの見るにつけ、あらためて思うんです。
日本人って、オートバイ好き・モータースポーツ好きな国民性なのだ!」ってね。