日本のモータリゼーションを作った明治の男の物語

明治41年に自作ガソリンエンジンを作った島津楢蔵さんのつづき。
島津楢蔵さんの弟、山口銀三郎さんの孫である山口宗久さんによる「日本のモーターリゼーションを作った明治の男の物語」に紹介されていた、島津楢蔵著の「モーターサイクル」の一節です。

いやーたまんないですね!

「初めてエンジンが回ったその時」
“狂奮”
希望に燃え希望に悩んだ半疑の試し
青い焔を吐きつゝとぎれとぎれの
爆音たてゝ
処女作のエンヂンが産声を挙げた一瞬
全身の血潮は過熱して沸騰したのか
常態を失して、もう大地に足が着かない…

(つづきはリンク先で→「初めてエンジンが回ったその時」)

画像は「日本のモータリゼーションを作った明治の男の物語」より

日本のモーターリゼーションを作った明治の男の物語


国産オートバイ1号車「NS号」

NS号や島津楢蔵さんについても、ちょっと調べると面白そうな話がいっぱい出てきます。

とりあえず今日は2つだけ。

国産オートバイ1号車「NS号」
画像は「日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン」より

何をもって「国産」なのかはありますが、島津楢蔵さんはこの前年1908年に2サイクルエンジンを作り、すぐに4サイクルに方向転換して試作。
その試作エンジンを載せて、1909年に作られたのがNS号。(本人のイニシャルですね)
これは間違いなく国産車と言えるでしょう。

島津楢蔵さんも面白そうな人で、この後、航空機エンジンの開発に傾倒。さらに機体製作に取り組もうとするも、個人・町工場の規模ではもはや無理ということになり、自動車学校を設立。
それも大正11年に閉校となり、オートバイの開発に戻ってくることになったそうです。

ちなみにライト兄弟が世界で初の有人動力飛行に成功したのが、約6年ほど前の1903年12月のこと。

このNS号。「NMC号」という名で約20台売り出されたとか。
でも「日本初の国産市販車」とは言われないのです。

1909年 国産オートバイ1号車 NS号 完成 – 二輪文化を伝える会


昭和34年 第1回全日本モトクロス大会(信太山)の貴重映像

1960年代 第1次モトクロスブームのところでも書きましたが、第1回全日本クラブマンレース(浅間コース)の翌年(昭和59年)4月19日に、大阪の信太山(しのだやま)特設コースで開かれたのが「第1回全日本モトクロス大会(MCFAJ)」。
初めてモトクロスという名前が使われた大会です。

その貴重映像を”静爺さん”にご提供いただきました!
(8mmで撮影、後にVHS、DVDへと焼き直したものです。)

通称「地獄谷」の様子や、当時18歳の北野元選手の姿も見られます。

今で言うエンデューロのようなレース展開ですねぇ。
マシンもライダーもまだまだ「モトクロス」になっていなくて、悪戦苦闘の様子がわかります。

レース結果は、
125ccクラス優勝:久保和夫(ヤマハYA-1、城北ライダース)
250ccクラス優勝:中尾保
251cc以上クラス優勝:藤井猛
オープンクラス優勝:北野元(ホンダMF350)
(「モトクロス黄金時代」より)

「二輪文化を伝える会」から

  • 1959年 第1回全日本モトクロス競技大会(MCFAJ)
関連リンク