第1回トークイベント終了しました:ありがとうございました!

二輪文化を伝える会、第1回のイベントが終了しました。

ご参加いただいた皆さん、そしてゲストの古谷さん、山本さん、ありがとうございました!

土曜日は、山本さんがサプライズゲストとして、星野一義さん、金子豊さん、岡部能夫さん(三人とも元カワサキのライダー、カワサキコンバットのメンバーの方々です)を呼んでくださいまして、おおいに盛り上がりました。

昔の写真を見て星野さんも懐かしがっていました。

この日の星野さんはもう完全に「ライダー星野」「カワサキの星野」でした!
当時大好きでよく描いていたというCB72のイラスト、その場で描いてくださったものです!超貴重品!

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日曜は一転、テーブルを囲んでじっくりお話を聞く会となり、濃密な時間となりました。

山本さんにはバイクの乗りはじめの頃から、じっくりお話をお聞きしました。明かせない裏話ももちろん有り!

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とりあえず速報でした。
開催レポートはあらためてイベント報告としてホームページに掲載します。

「二輪文化を伝える会」として、これでまずはじめの一歩を踏み出せたような気がします。

今後ともどうぞよろしくお願い致します!


メグロの歴史:目黒製作所と北見さん

「日本のオートバイ・
CATALOG COLLECTION」
(双葉社)から

「メグロ」というブランドが、カワサキと関係がある、という程度の知識しかありませんでした。

メグロは目黒製作所が作ったオートバイ。

メグロの履歴室」を参考にその創業エピソードを振り返ると・・・。

目黒製作所は、1924年(大正13年)に創業。
日本のオートバイメーカーの中でもかなりの老舗と言えるでしょう。

創業者が目黒さんだったかというと、そうではなく、村田延治さん。

ではなぜ「目黒製作所」?

所在地の荏原郡から取ることを考えるが、当時既に(株)荏原製作所が盛業中であり、「製作所」の語尾を付けたい二人には、この案は取れなかった。当時工場名に「製作所」と入れることが流行り、また信頼の高い事業所も多かったこともあり、はずせなかった。では、と桐ヶ谷とすれば近所に火葬場があり印象が悪い。思案した末、選んだのが「目黒」であった。目黒の街からはやや離れてはいるが、この周辺を「目黒」と称していたことと、河川や近所にあったお不動さんも競馬場も「目黒」なのだし、これなら良いだろう・・・と。
ここに「目黒製作所」の創業をみたのである。
~メグロの履歴室~:目黒製作所創業まで(2)

ということで「目黒製作所」となったらしい。

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ここから長いメグロの歴史が始まります。
カワサキに吸収される昭和39年で終わってしまったわけではなく、今も「W」をはじめカワサキのオートバイにその血は流れ続けています。

中央が北見さん。
(左は元チームグリーン監督平井さん、右は元カワサキ古谷さん)

夏にお会いした北見紀生さん。
カワサキZ系のチューナーとして今も多くのファンがいる方ですが、北見さんはメグロのご出身。
確か入社は昭和28年とおっしゃっていたかな。当時は30人くらいの町工場で、そのあと会社は巨大化し、労使紛争があり、やがてカワサキへ、という一連の歴史を社内で見てこられた方です。


メイハツ、メグロ、そしてカワサキ

戦後、日本には本当にたくさんのメーカーがあり、それぞれ特徴的な生い立ちがあります。

その中でも、カワサキ(のオートバイ)の成り立ちはなかなかわかりづらいんです。

画像は「栄光のモーターサイクル列伝」から

もちろん、もともとは川崎正蔵さんによる川崎造船所からはじまるのですが(正確には川崎築地造船所かな。のちの川崎重工業)、二輪車の製造に関しては、戦後、自転車用エンジンの供給を開始したところから。

ざっくり整理してしまうと、戦後に川崎航空機が製造した小型2サイクルエンジンの供給先として川崎明発工業(メイハツ)ができ、その後に大型4サイクル車が主力だったメグロを吸収して、今のカワサキとなるんですね。ざっくりし過ぎですけど。

そうして、WやMachやZといった名車たちが、生まれてくるわけです。

おおまかな流れについては、「栄光のモーターサイクル列伝:カワサキ」でつかめると思います。