シャフト駆動に惚れ込んで「シャフトとV」伊藤正

1960年(昭和35年)のオートバイ誌4月号より。

「ライラック」を製造していた丸正自動車製造の伊藤正(いとう まさし)社長。

「オートバイに生きる(その3)」モノクロ写真6ページの特集。

…(略)…
自慢になりそで言わないが VにはVの良さがある
シャフトに シャフトの良さがある
かなしみも よろこびも マルでかこんだ 正 一文字
シャフト駆動に惚れ込んで スイもアマイもかみ分けた
シャフトに惚れて 12年 背骨に1本 つらぬいた
(伊藤 正 47才 丸正自動車製造株式会社社長)

個人的にはライラックとはまったく接点を持たないまま今日に至りますが、この時代の人のオートバイに賭ける情熱には、純粋かつ強烈な熱さを感じさせられます。

丸正自動車、伊藤正さんについては以下のサイトで。

1955年(昭和30年)第1回の浅間高原レースでは、伊藤史朗のライディングでホンダを打ち破ったライラック。
この時は、単気筒250ccのライラックSY。もちろんシャフトドライブ。

次々にオートバイメーカーが倒産していく激しい淘汰の時代。
これを機に躍進を果たしていくと思われたが…。

V型エンジンを投入したこの記事の頃にはすでに経営危機に陥っており、翌1961年(昭和36年)に倒産、和議で再建を図るも、結局昭和42年に廃業。


いつの時代も、生き残り賭けた戦いは厳しいもの。

ましてや、好きなこと、やりたいことを続けていくのは、乗り越えなければならない山は高く険しいのですね。

今でも長く愛されているライラック号。

最後にこの動画を。

浜松とオートバイ産業 – YouTube


[歴史を追う7] 昭和20年代後半 二輪産業が次第に活発に

月刊オートバイ2013年2月号「日本のバイク史」特別付録から
月刊オートバイ2013年2月号「日本のバイク史」特別付録から

昭和25年(1950年)に朝鮮動乱が起こると、日本国内に朝鮮特需をもたらし、さらにGHQの日本の占領政策を一変させます。
これは日本の産業界にも様々な影響を与えたようです。

昭和24年(1949年)に、オートバイの生産および販売に携わる会社により日本小型自動車工業会ができ、多摩川スピードウェイで全日本モーターサイクル選手権を開催するなど、モータースポーツもようやく復興してきます。 “[歴史を追う7] 昭和20年代後半 二輪産業が次第に活発に” の続きを読む