二輪文化を伝える会のトークイベントへの思い

日本のオートバイはいつ頃から作られ始めたのか?
製造会社はこれまでにどのくらい存在したのか?
車両開発者はどのような夢を抱き、製品にしていったのか?
国内から海外へ、世界に向けてのモノ作りの現場にはどんな野望や苦労があったのか?
車両の性能を競うレースはいつどこで始まったのか?
人々はオートバイにどんな夢や希望やロマンを感じていたのか?

黎明期のレースに出場された方、過去に存在していたメーカーで製造に携わっていた方、世界を制するために心血を注いだ方・・・。
オートバイやレースに関係の深い方々の、貴重な体験談、汗と涙の苦労話、今でも語り継がれる伝説などなど、ご本人からリアルに当時の話を聞くことができたならどんなに素晴らしいことでしょう!

そんな思いの実現を目指したのが「二輪文化を伝える会」のトークイベントです。

ホームページでは、オートバイやレースの歴史をひも解き、トークショーではご本人から直接そのお話を聞く。この二本立てで二輪の歴史、日本の二輪文化の素晴らしさを多くの方々に伝えたいと思っています。

ゲストと参加者みなさまが一体になったひととき。料理にもこだわり、食べながら飲みながらのご歓談。
次も参加したいと思っていただけるような機会を数多く作っていきたいと考えております。

(村島)

レースが終わった後のパドック。レース前のピリピリした空気から、ちょっと和んだ雰囲気に包まれる夕暮れのこの時間が私は好きです。
ライダーやスタッフと応援に来た人たちが、今日のレースを振り返って談笑するような、そんな雰囲気のイベントにできたらと思っています。

(松島)

メグロの歴史:目黒製作所と北見さん

「日本のオートバイ・
CATALOG COLLECTION」
(双葉社)から

「メグロ」というブランドが、カワサキと関係がある、という程度の知識しかありませんでした。

メグロは目黒製作所が作ったオートバイ。

メグロの履歴室」を参考にその創業エピソードを振り返ると・・・。

目黒製作所は、1924年(大正13年)に創業。
日本のオートバイメーカーの中でもかなりの老舗と言えるでしょう。

創業者が目黒さんだったかというと、そうではなく、村田延治さん。

ではなぜ「目黒製作所」?

所在地の荏原郡から取ることを考えるが、当時既に(株)荏原製作所が盛業中であり、「製作所」の語尾を付けたい二人には、この案は取れなかった。当時工場名に「製作所」と入れることが流行り、また信頼の高い事業所も多かったこともあり、はずせなかった。では、と桐ヶ谷とすれば近所に火葬場があり印象が悪い。思案した末、選んだのが「目黒」であった。目黒の街からはやや離れてはいるが、この周辺を「目黒」と称していたことと、河川や近所にあったお不動さんも競馬場も「目黒」なのだし、これなら良いだろう・・・と。
ここに「目黒製作所」の創業をみたのである。
~メグロの履歴室~:目黒製作所創業まで(2)

ということで「目黒製作所」となったらしい。

*

ここから長いメグロの歴史が始まります。
カワサキに吸収される昭和39年で終わってしまったわけではなく、今も「W」をはじめカワサキのオートバイにその血は流れ続けています。

中央が北見さん。
(左は元チームグリーン監督平井さん、右は元カワサキ古谷さん)

夏にお会いした北見紀生さん。
カワサキZ系のチューナーとして今も多くのファンがいる方ですが、北見さんはメグロのご出身。
確か入社は昭和28年とおっしゃっていたかな。当時は30人くらいの町工場で、そのあと会社は巨大化し、労使紛争があり、やがてカワサキへ、という一連の歴史を社内で見てこられた方です。