1959年6月3日ホンダのマン島TTレース初挑戦

マン島TT(ツーリスト・トロフィー)レース。

100年以上前から、毎年この時期(5月末〜6月)に開催され、今年もただいまレースウイーク真っ最中。
(今年、日本からは、TT-ZEROクラスにチーム無限とTeam未来が、スーパースポーツクラスには山中正之選手が出場しています)

このマン島TTレース。
現在では、危険な公道レースの代名詞のように認識されているかもしれませんが、かつては世界選手権ロードレースの一戦で、歴史と伝統のあるオートバイレースの最高峰という位置付けでした。

ですから、ホンダが世界進出のために選んだ舞台がマン島TTレースだったわけです。

そのホンダのマン島TTレース初挑戦の日が、1959年6月3日でした。

谷口尚己さんのアルバムより

谷口尚己選手が6位入賞(世界選手権で日本人初ポイント獲得)、鈴木義一選手7位、田中楨助選手8位、鈴木淳三選手11位、堂々チーム賞も獲得という結果を残し、Hondaの名が世界に広まることになりました。

2019年は初挑戦から60年

来年(2019年)はマン島初挑戦から60年の節目と年になります。

きっとホンダとマン島の間で、記念的行事があることと思います!(期待)

ちなみに、再来年(2020年)は、多田健蔵さんがマン島を走って(1930年)から90年。


幻のライダー伊藤史朗とヤマハ発動機創業者川上源一

伊藤史朗(サイクルワールド1984年6月号より)

「オレは日本のために、川上源一のためにやった。死んでもいいと思って、走ったんだ」

伊藤史朗(サイクルワールド1984年6月号より)

先日のフランスGPでヤマハが世界グランプリ500勝を達成。
そのはじめの一歩を記したのは、1963年ベルギーGP250ccクラスで優勝した伊藤史朗選手でした。

1963年ベルギーGPで優勝(「伊藤史朗の幻」より)

その後、とある事件をきっかけにして、追われるように、いや本人曰く「日本を蹴飛ばして」アメリカに渡った伊藤史朗。

冒頭の言葉は、その伊藤史朗さんがのちに残したもの。

川上源一さんはヤマハ発動機の創業者。
インタビュー記事の中で史朗は「川上源一だけがヤマハの中で唯一”魂”を持った人だった」と言っています。

川上源一(ヤマハ発動機創業者)

そんな二人の「魂」から始まったヤマハのグランプリ挑戦ヒストリー。

5月25日は、その川上源一さんの命日でした。