二輪文化ブログ
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[歴史を追う2] 伝来、初の国産、外国車の輸入

まずは、明治時代:1896年(明治29年)〜1912年(明治45年)。
日本のオートバイ史は意外にも古く、100年以上も前に始まります。

世界を見ると、
フランスの発明家のルイ-ギヨーム・ペローが蒸気機関を動力とした二輪車を考案し、特許を取得したのが1863年。
ウイーン万博にオートバイの原形と言われるものを出品したのが1873年。
ダイムラーがガソリンエンジンの二輪車を作ったのが1885年。
(→Wikipedia

h-w_mainichiそして日本では、1896年(明治29年)に十文字商会の十文字信介が、ドイツのH&W(ヒルデブラント ウント ボルフミューラー)号を輸入し、皇居前で公開試運転したのが、日本で初めて人前に姿を現したオートバイと言われています。

ns_photoでは、輸入車ではなく、日本国内で作られたものは?と言うと、
1909年(明治42年)に島津楢蔵さんが、4サイクル400ccのエンジンを自作しNS号を完成させています。

と、ここまでは、すでに1896年(明治29年)〜1912年(明治45年)のページには紹介しておりました。

このころ海外では、1903年にハーレーダビッドソンが設立されていますし、1907年はマン島TTレースの開催が始まりました。

外国製のオートバイは、どんどん開発進化し量産販売されてきた時期と思われます。

そこで気になったのが、Wikipediaに書かれていた、外国製オートバイの輸入販売について。

1909年に山田光重さんが23歳で山田輪盛館を設立し、NSUやトライアンフの販売を、また山口勝蔵商店がトライアンフやインディアンの輸入販売を始めたとのこと。

おそらくこういった輸入販売をされた方々も、おおいにオートバイ好き・乗り物好きであったのではないかと。
そしてかなり高価であったであろうこの頃のオートバイを、いったいどんな人たちが買い、どう乗ったのか。

そんなことも追っていろいろ調べていきたいと思います。
(詳しい方、資料をお持ちの方、情報お待ちしています!)


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