二輪文化ブログ
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幻のライダー伊藤史朗とヤマハ発動機創業者川上源一

「オレは日本のために、川上源一のためにやった。死んでもいいと思って、走ったんだ」

伊藤史朗(サイクルワールド1984年6月号より)

先日のフランスGPでヤマハが世界グランプリ500勝を達成。
そのはじめの一歩を記したのは、1963年ベルギーGP250ccクラスで優勝した伊藤史朗選手でした。

1963年ベルギーGPで優勝(「伊藤史朗の幻」より)

その後、とある事件をきっかけにして、追われるように、いや本人曰く「日本を蹴飛ばして」アメリカに渡った伊藤史朗。

冒頭の言葉は、その伊藤史朗さんがのちに残したもの。

川上源一さんはヤマハ発動機の創業者。
インタビュー記事の中で史朗は「川上源一だけがヤマハの中で唯一”魂”を持った人だった」と言っています。

川上源一(ヤマハ発動機創業者)

そんな二人の「魂」から始まったヤマハのグランプリ挑戦ヒストリー。

5月25日は、その川上源一さんの命日でした。

 

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