二輪文化ブログ
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日本で初めてのオートバイレース(エキシビション)

日本で初めてのオートバイレースは、1914年(大正3年)に鳴尾競馬場で開かれた、と言われています。

この鳴尾競馬場でのレースについてちょっと調べてみようとしたら・・・。

日本財団図書館で読める「公営競技の文化経済学」の「公営ギャンブルの歴史:五、オートレース」によると、

最初のレースは一九一〇(明治43)年一一月に不忍池のほとりで開かれた自転車競争の余興であった。オートレースとしては一九一四(大正3)年に兵庫県鳴尾競馬場で行われたのが最初で、翌年には東京目黒競馬場で行われている。

(オートレースといっても今のものとは違い、いわゆるダートトラックレース)
とあります。

大正3年の鳴尾競馬場でのレース以前にも、らしきもの(エキシビションレース?)はあったようですね。
で、「1910年 不忍池 自転車競争」で検索してみると、どうやらそれは「内外連合自転車競争運動会」という大会だったようです。

さらに、「内外連合自転車競争運動会 オートバイ 1910年」で検索すると、「日本自転車資料年表(江戸・明治編)」というページが見つかりました。が、そこには

1901年11月4日 時事新報 上野不忍池で自転車競走会の余興として 本邦初のオートバイ・レースが行われる

と書かれています。
ん?1901年?

画像は「上野観光連盟公式サイト」から

1910年か1901年か。単なる誤植か勘違いか。
オートバイの渡来は1903年だったと言われていたりもしたので、1901年は間違いなのかなぁ・・・。

今度は「不忍池 オートバイレース」で検索してみると、なんと島津楢蔵さんに繋がります。
モーターサイクル伝来」のところで参考にさせてもらった「私的二輪史研究『日本のオートバイの歴史』」での記述。

1903年(明治36年)
父親から米国製ピアス号自転車を買って貰う。桜島での自転車レースに出場
東京の不忍池で初めてオートバイを見る

むむむ。
しかも1903年?

ならば島津楢蔵さんの弟・山口銀三郎さんのお孫さんである山口宗久さんの「日本のモータリゼーションを作った明治の男の物語/島津楢蔵、山口銀三郎」に年表が出ていたから見てみよう。

すると

1900年(M33) 島津常次郎・楢蔵・銀三郎に自転車を買い与える
…楢蔵が、同年大阪桜島で開催された自転車レースに出場したり、東京上野不忍池で行われた自転車レースを見物するために上京し、余興として走行したモーターサイクルに感動したという記述もある。

おやおや?1900年?

ただこれは、実際に何年のことか定かでないようで、「ライト兄弟の自転車」のページには、

残念ながらこの写真には裏書きがなく、従って湯川氏の著述によると1900年(明治33年)、銀三郎のノートには高等小学校2年のとき、つまり1903年 (明治36年)とあり、またこのバン・クリーブという自転車の販売が開始されたのが1901年という記録もありで、今のところ正確な年が確定できない。

こうなると1910年より1901年のほうが有力な気がします。

この先は時事新報を調べるしかないですね。
ちなみに時事新報とは、福沢諭吉が創刊した日刊新聞です。慶応大学図書館に行くと発行新聞の全てが残っているそうです。
一般公開しているのかな?

  【人物伝】島津楢蔵 – 二輪文化を伝える会
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