はじめての世界選手権としての日本グランプリは?

「鈴鹿サーキット50年の歴史」より引用
鈴鹿サーキット50年の歴史」より引用

先日もてぎで開催されたMotoGP日本グランプリ。
ホンダのマルク・マルケス選手が2位でフィニッシュし、2年連続の最高峰クラス年間チャンピオンを獲得しました。

ところで世界選手権の日本グランプリが初めて開催されたのは、マルケスがチャンピオンを決めた日から51年と2日前の1963年(昭和38年)10月10日でした。

場所はオープン2年目を迎えた鈴鹿サーキット。
世界選手権シリーズの最終戦(第12戦)として組み込まれました。

ホンダがマン島TTレースに初めて出場した年(1959年)からわずか5年目です。

あっという間に世界を席捲した日本メーカー製マシン。
日本人ライダーも結果を残しています。

レース結果は、
250cc:
1.レッドマン(ホンダ)2.伊藤史朗(ヤマハ)3.リード(ヤマハ)…6.粕谷勇(ホンダ)
125cc:
1.ペリス(スズキ)2.レッドマン(ホンダ)3.デグナー(スズキ)…6.伊藤光夫(スズキ)
50cc:
1.タベリ(ホンダ)2.アンダーソン(スズキ)3.増田俊吉(スズキ)4.市野三千雄(スズキ)5.島崎貞夫(ホンダ)6.伊藤光夫(スズキ)
※ 350cc:(出場台数が3台のみで選手権対象外)
1.レッドマン(ホンダ)2.山下護祐(ホンダ)3.タベリ(ホンダ)

この第1回日本グランプリロードレースの様子は、

  • 日本モーターサイクルレースの夜明け 1963年写真集 日本GP(鈴鹿での日本初のWGP)[  ],[  ],[  ]

にたくさんの写真が掲載されています。

「日本モーターサイクルレースの夜明け」より引用
日本モーターサイクルレースの夜明け」より引用

スズキのデグナー(あのデグナーカーブのデグナーさんです)が3コーナーで転倒、マシンが炎上し、大やけどを負ってしまったとのこと。

ちなみに「デグナーカーブ」と言われるようになったのは、この前年1962年の鈴鹿サーキットのオープニングレース「第1回日本選手権ロードレース」でトップ独走中に転倒したコーナーに名付けられたのでした。

世界選手権としての日本グランプリは、このあと1965年までは鈴鹿で、1966・67年は富士スピードウェイで開かれた後に中断。
1987年(昭和62年)20年ぶりに鈴鹿サーキットで復活。以来、鈴鹿サーキット、ツインリンクもてぎで開催されています。